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メッセージ                        from PI (引原隆士)

 毎年年末年始にこのページを書き換えて,早くも14年目になります.本ページは,主として京都大学の3回生で研究室配属を検討する人を中心にメッセージを送って来ています.学外の方は,研究室の指導者のものの考え方を確認するためにご利用下さい.ご意見のメールはこちらへ.

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2017年1月1日版 (暫定版)

 今年度も,研究室紹介,研究室選択,配属の時期がやってきました.京都大学工学部の学科で,電気電子工学科は唯一コース制を取っていない学科です.だから,修士までの6年間の教育期間で研究室選択・配属が折り返し点となります.この時点で電気電子工学のさらに細部,あるいは展開する学問領域をそんな早く決める必要がないという教員の合意です.一方,博士課程に進学を考えている人は,三段跳びのホップの段階です.最初のホップを終える段階で,次のステップをどうするか,あるいはジャンプでどこまで目指すか,さらには次のトライアルのための準備をするか,短時間で判断する必要があります.そのことも踏まえて皆さんの参考になれば幸いです.

0. ニュース

 桂キャンパスは京大の中では最も新しく,工学系だけのキャンパスとして2003年にオープンしました.まだまだ完成途上にあります.その時間スケールはいかにも大学らしいところです.しかし,学生の皆さんには,その時しか無い在学生活ですから,何とか環境を整えようと多くの方が努力されて来ています.そんな中で,2017年は朗報があります.桂キャンパスに図書館の建設が決まりました.平成29年度の政府予算の概算要求の項目として京大から文科省に出され,そして財務省にも出されていた予算要求が当初予算で認められました.建設は一朝一夕にはできませんので,時間はかかりますが,将来の桂キャンパスを中心とした大学整備が一歩進むことになりました.

1.研究室の流れ

 吉田キャンパスで過ごす学部生の方にとっては,京の反対側の丘陵地,しかも洛外に位置する桂にあるキャンパスに電気系2専攻が移転し,既に13年が過ぎました.京都大学工学部電気系教室は,複数の研究科,研究所等による共同運営の教育プログラムとして運営されています.この形は,1998年の情報学研究科の設立,桂キャンパス移転を経て,苦労の末作り上げられたものです.

 我々の研究室は,2001年に PI が教授に昇任して始まりました.元々,電力システム研究室の助教授であったPI が空席であった電力変換制御工学研究室の教授として昇任したことから,研究室の研究の流れが大きく3方向からの継承となりました.電力システム研究室は,上之園親佐教授から上田士雫擬につながる電力系統工学の研究の流れ,上田士雫擬が上之園研に異動前に所属されていた林千博教授の非線形力学の研究の流れ,そして新たに安陪稔教授が運営された電力変換制御工学すなわちパワーエレクトロニクスの流れです(元々,安陪稔教授の前身は浮田勇教授,岡本赳教授で,その研究室は林千博教授の指導下にありました.)これらの教育と研究の流れを,次世代につなげていくことを責務としているのが我々の研究室です.一方 PI は,博士課程修了後他大学に奉職し,そこで学生時代とは異なり,超電導,電気機器,磁気浮上,パワーエレクトロニクスなどの研究に従事し,またその間,米国における在外研究(米国 Cornell大学航空宇宙工学科)において,超電導応用,非線形現象に関する実験的研究及び,結合力学系等の研究に従事しました.これらの経緯から,学生のみなさんの興味に合わせて,様々な分野の境界領域の研究にトライしています.しかし,それらは非線形力学の基礎理論と応用という基本の学理で方向づけしています.これまで修了した博士課程の学生の方々の課題や論文を見れば容易に理解できると思います.

http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?%C7%EE%BB%CE%CF%C0%CA%B8

はっきり言って,電気工学のすべての分野の課題(素子,回路,振動,波動,パワーシステム,エネルギーシステム)が対象となります.しかし,そのアプローチはあくまで非線形力学の工学的応用です.

2. ゴールはまだか

 皆さんが生まれた1990年代は,親の世代が経た経済のバブル期崩壊後の失われた10年と言われる時期です.日本は,工業技術がやっとアメリカに追いついたと思った1980年代に,今隣国の人たちが行っていることと同じ行動を欧米の地でやっていました.

 余計なことですが,そのころの学生の皆さんの思考もバブルで,就職面接のためのリクルートスーツの値段が,今と一桁違っていたり,会社を複数回ると給料に相当する余りが出て,それを学生同氏が得意げに話していた姿を記憶しています.中身の無い哀れな姿でした.バブルとはそういうものです.

 そのような人々の姿が,経済の崩壊と共に,いとも無残にしぼみ,胸張っていた人々が,肩をすぼめて歩く姿に変わるのを具に見てきました.経済もそうですが,技術的にも大きな転換点がその時点であったと言われています.

 それまで基礎研究をふんだんな研究費が投下されている米国の成果から学び,日本はその民生の応用を技術開発と称して,それを豪語して来ました.大学,研究所,企業の多くの研究者が欧米に学び,いち早く国内に持ち込んで学会で自らの優位性をアピールし,あるいは市場をいち早く抑えるというやりかたでした.それがその当時までの研究スタイルだったと言えます.おのずと,大学の基礎研究は使えない.基礎技術は海外から導入して,日本の大学には優れた技術者の卵を教育してもらえれば良いという流れになったことは容易に理解できます.基礎研究に従事する研究者は,大型の設備のお金が無いことから,少ない予算を工面して実験環境を整え,理論の成果を検証することが中心でした.そこには,基礎の意味を理解することと工夫がありました.

 大きな転換点を迎えて起きたことは,これまで日本の産業界が目指してきた方向性で学ぶべき事が欧米には無いということでした.明らかに米国は,日本が学ぼうとした方向から既に転じていたのです(佐藤文隆,超新星爆発とSSC中止の間(現代思想, 2016.11)).1993-94年に 米国のCornell 大学に在外研究に行っていた PI は,その転じ方が,クリントン政権による今年の大統領選で戦われた議論と全く逆の政策であったと感じています. Cornell に居たときにヒラリー・クリントンがアリーナで行った講演を聴き,その将来への展望に人々が可能性を見ていた姿がありました.その当時目指されたものを,肌身として理解していた日本人は少なかったと思います.なぜなら,日本の企業は,ことごとく海外の大学に送った研究者を引き上げ,情報収集を止めたからです.

 それから20年間は,突然レールが変わり,根本から変わった科学技術の運営のルールに,ただただ日本の産業界も,大学もふたたび戻るコースを見つける年月でした.状況を修復する作業に徹してきたに尽きます.ここ5年の大学の教育はどうでしょうか? MOOCsやedXの講義がネットで流れ,教育自体がビジネスになるという考えに翻弄されています.未だに,独自の考え方は見いだせていません.フォローアップすることに回帰させられています.そして,輸入による教育・研究の構築が繰り返されています.この路線を始めた米国の大学でさえ,背後から追う大学の足音に背後を脅かされ始めています.

 アスリートの世界でも,F1でも,標準化でも,そして研究でも,我々の最も課題となる点が,その技術基準という明確なゴールを越えることのための最適化を図ってしまった結果,全体への視点,バランスを失ってしまうことです.本当はゴールなどではなく,それらは先の新たな可能性への通過点にすぎないということです.ゴールが見えたと思ったとき,勇気を持ってそこから転じることが我々が必要なことです.ゴールラインで旗を振っているのは,後から追いかけて,それだけを完成させて終わった人たちであるということを,あらためて認識する必要があります.

3. 外に出ること

 研究室にも多くの留学生が所属します.それが普通となっています.でも,なかなか配慮が不足しています.たとえば,最低限誰にも分かるように資料を作ること(英語を併記すること),英語の質問には英語で答えること,曖昧な日本語でごまかさないこと,そして相手が分かるまで説明すること,......これらが足りません.一方で,聞く側も求める事が不可欠です.受け身で相手に求めるだけでは何も得られません.なぜそのようになるかというと,自分が個人として同じ立場に立ったことが無いからです.片言でも分かることを会話できることがどんなに重要かを心底感じたことが無いからです.ポスターや張り紙が少しでもわかったら生活が変わり,勉強も進みます.人と人がコミュニケーションを取るところから研究が始まります.それぞれが自分の形を捨てなければ何も得られません.相互に補った時に,始めてコミュニケーションが成立します.

 誰もが,自国を,文化を,家を,仲間を,そして自分を,冷静に位置づけるためには外に出て,客観視できる環境に置くことが不可欠です.何も考えずに無駄なことをしていたか,こだわってきたか,はたまた自らの方向はどこか,またそこに至る方法は何かなど,自らを省みる良い機会となります.これは,国として書いていますが,本当は自分が慣れ親しんだ環境の内と外ということに過ぎません.居心地の良い分野,居心地の良い友達関係,家族から,自らを確立するために,一旦外に出ることが重要です.日本の学生ならそれが海外に行くことにもつながりますし,他の研究分野に行くことや,他の大学に行くことにもつながります.就職と言うこともその一環かもしれません.

 内は内からは定義できません.重要な認識は,内には限界がありその限界を超えた時,内の論理は通じないことを知ります.外に出ること,それは自ら,あるいは内を外から定義することです.  

4.研究する?

 京都大学で研究を経験することは,身近に世界の最先端,最外縁,あるいは前例の無い領域で,既存の理論・手法ではたどり着けない知見があることを知ることです.その姿を見ることで,自分がそこにたどり着けなくても,たどり着くという研究という行為が重要だと理解されます.このような先端の研究行為に触れた人にしか,研究の必要性,あるいは重要性が分かりません.ゴールは通過点にすぎません.一番重要なことは,未解決な問題,うまくいかない条件,証明のない事象,そして自分が相容れない意見に自らがぶつかり対峙することです.それを避けることは,結局はゴールしか目指していなかった自分を知ることになります.

 研究室に配属される人にお願いしたいことがあります.それは以下の通りです.

(1) 研究したい課題の意味を自分に尋ねて,明確な意味を見出してください.

(2) 完成された分野の課題を追いかけるなら,その限界をまず見定めて下さい.

(3) 未完成な分野の課題を追いかけるなら,説明が旨く行かない結果を見出してください.上手くいっている結果の条件を外してください.

(4) 得られた結果が本当に正しいか,ありとあらゆる方法で確認して下さい.それでも必要条件しか得られないことを理解してください.

(5) 応用がやりたければ基礎を,基礎をやりたければ応用から入ってください.ただし,それぞれの基本を確実に習得して下さい.基礎と応用に線引きはありません.

(6) 試験,締め切り,発表だけに合わせるのではなく,時間を確保し(アフターファイブ)に,テーマと直接関係ない自分の学問をして下さい.それらの中から理解の言葉を紡ぎ出してください.

大学で学ぶことは,将来自分が一人になった時に,自らの力で切り開く知恵と論証能力です.我々はそれを手助けするにすぎません.その中で,可能なら共同作業として論文という形で,これまでに達成されてこなかった結果を世の中に問い,人類のレベルを一段上げることに貢献してもらいます.その先は,皆さんにしか対応できない世界が広がっています.

4. PI が考えること

 世界の情勢がガタガタと変わりつつあります.いつの間にか,大学で軍事に関わる研究の可否を議論しなくてはならない状況になってしまったのか,背筋に寒いものを感じます.理想をいうことが否定され,役に立たないことが非難され,特定の意見に与するものだけがマスコミでチヤホヤされ,世論の誘導に魅力を感じたジャーナリズムが思慮もなく偏った主張に走ることを見ます.議論をすることで自分の間違いを正すことが素晴らしいことだという価値観を共有できない集団が,ドラマ的手法に慣れてしまった人々に,爽快感という着せ替えによって中身を隠した方向に誘導する現実があります.研究公正をジャーナリズムが叫ぶ,産業界が叫ぶのもその時々の人気取り以外の何物でもありません.単なる損得勘定の行動です.無節操に行うチヤホヤ,強弁を吐き自らを隠すだけの行為,論理のすり替え,とぼけ,そんなここ数年の公人の動きをみるにつけ,最高学府である大学/大学院の人間がするべきことがあると思っています.

 個人として思うことは,研究者として研究していること,考えていることをオープンにしていくことです.どういう過程でその議論に至ったか,あるいはどのデータがその結果を導いたか,そして何を目指しているか,誰が作業をしたか,それら全てをオープンにする環境を構築することだと思っています.相互がオープンにした上でしか議論しない,あるいは議論として成立しないことを常識とすることが,今を持っても重要であると感じます.単なるポピュリズムや,自らをオープンにせず安全な場所から攻撃することを許すシステム自体が社会として成立していません.それを放置するシステムは,単なる雑音の増幅器です.雑誌や,論文誌も多くは雑音です.

 論文の結果が間違っていることは罪ではありません.その時点で,査読を経ても検証できなかった,あるいは十分な検証が足りなかったにすぎません.研究者は淡々と研究成果を論文にし,データを開示し,相互に成果を検証しあう学術情報の世界で検証を受けるべきです.そこで,時間を経て検証されたものだけが,その世界の外で議論可能なものになります.これ以外の方法や宣伝による評価は,研究という世界とは異なる世界の論理です.最終的に否定されたことで,そこには答えがないことを示すことは非常に重要なことです.踏み石になることが研究という行為のほぼ全てだからです.

5.おわりに

 学問は知識の優劣を競う種目ではなく,論理を尽くすことであって,強弁による勝ち負けでもありません.未完成な複数の論証を当てはめ,それらの上に新しい論証が組み立てらるか,あるいは他の別の論証を与えることになるか,非常に厳しいながらも楽しい作業です.その訓練を信じて行い,姿を見ることで実践に臨めるという経験ができる場,教員を見つけ出して下さい.自らを外に押し出してくれる指導者を選ぶことが研究室選びだと思います.この機会を大切にして下さい.

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過去の記載内容


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Last-modified: 2017-01-03 (火) 09:57:07 (143d)