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はじめに(2007.1.1) by 引原隆士

研究室選択の一助としてこのホームページを公開しています.学生の方よりも他大学の教員の先生方からの反応が多く,とまどうことが多いですが,そういう場合も何かの参考になれば幸いに思います.決して,一般論を述べているのではなく,研究室をマネージメントするものとしての考えを述べるに過ぎません.

研究室配属はゴールか?

理系が文系に比べて給与,ポジションで文系に対して恵まれない,認知を受けないといわれます.講談社から出ている,毎日新聞科学環境部による「理系白書」はその一端をまとめています.昨今この書籍の一部がいろいろなところで議論されているようです.文系の理系コンプレックス,文系の教養主義と微妙な位置づけがあり,高等教育のリベラルアーツの再構築という議論とからんで,大きく議論が進むのではないかという気がしています.

理系も文系もその基礎教育は,自然,人文,社会の解明を指向した論理学とその演繹であるのではないでしょうか? 昨今の受験中心の教育から抜けているところがこの論理性の追求であるというのは表面的すぎるかもしれませんが,子供の頃からの教育の根幹をなす観察と論理の両輪が今の初等教育から欠落しているのではないかと常々感じています.『なぜ』という疑問を持てない,それを知るに至る仮説の立証,棄却の繰り返しが,余裕を持って教育されていないのではないかと思います.小学校,中学校,高校とそれぞれの段階で,これらを助ける読み,書き,計算を無目的に学習し,知的好奇心と合体させるということが本当に各人の教育で達成できているかどうかに疑問を持たないではいられないというのが最近の感想です.理系も文系も,その対象に対して自分の持つ能力で対応して行く事は可能です.体験主義は表層的な教育論と思いますが,論理性を確立していない若い人たちには,体験によるパターン認識能力の確立が,最短な方法です.ところが,それが受験という関門にのみ実施されて来た結果,さらに限られた問題にしか適応能力の無い学生を作り出しているようです.

昨今の大学教育は教養部の解体で教養教育から専門誘導型の基礎教育に変化しました.ところが初等教育が上述の様に充分に機能しておらず,基礎力の無いままに専門教育を施すという状況となっています.専門の基礎教育があまりにもそのそれぞれの専門を目的とした技術論,手法論である以上,その学生の教育自体が合目的なものに終始し,その意味で講義で良い成績を収めて行く事が本当にその人の人間形成にプラスとなっているのかどうかに疑問があります.工学系の教育の基礎の上で自由に闊歩できる学生,すなわち自学自習できる学生が京都大学の将来においても必要であるにも関わらず,求めているものは結果への最適化を図る能力に長けた,いかにも工学的手法を習熟した学生である事は矛盾と言えます.研究室配属自体がそのような一つのゴールとなっていることも憂えることになります.

研究室配属はゴールではありません.またそれが将来の選択でもありません.選んだ,もしくは決まった研究室で,自分に足りないもの,自分が長けているものを見いだす場であり,これから自ら動き出せる訓練をする場であるということをもう一度考えて下さい.自分たちがこれまでに経験した事の無い研究とゴールの無い世界の入り口ですが,その先はだれも分からないのです.その先の自分を支えるものは,専門能力以外の素養,教養となる事を知っておいて下さい.

研究者へのステップ

学生が研究室に配属されるということは手法を習得するという事以上に意味をもつことをもう一度述べます.

研究室に配属されて初めて,皆さんはいわゆる研究者としての教員と直に触れ合うことになります.これまでは教育の側面での一過的な出会いをした教員が,個々の研究において何を考え,何を目指し,どういう資質を有しているかを知る事になります.研究室の選択は,このような人間との出会いが最も重要なウエイトを占めます.上に述べて来た教育の集大成において,自分の能力の限界をさらにのばせる機会をこの配属に求めなければ意味がありません.毎年言っていますが,卒業研究は与えられた課題を与えられた手法で,確実に処理し,論理的な研究遂行のプロセスを学習します.大学院では,さらに与えられたテーマに関して仮説の設定を行い複数の手法でその論証を行います.工学の学生が陥りやすい落とし穴は,ピンポイントで一般性の無い理論,実験結果,さらにはアルゴリズムを構築し,その研究の位置づけが出来ない事です.

与えられたテーマを自分なりに調理することは大切です.しかし,上に述べた素養の幅が無いと調理した結果は,事実の積み重ねから演繹される相互の関係の見えない,データ集以上にはなり得ません.自分に足りないもの如何に補い,如何に伸ばすかを真剣に考えて下さい.そういう場を研究室に求めてもらいたいと思います.自分が苦労しないことばかりを続けても成長はありません.そんなことができるほど技術,研究の道は浅く有りません.基礎的な積み上げなく研究テーマを何の根拠も無く主張し,それに執着する若い人が増えています.本当に自分がその分野で仕事を出来るかどうか,主張した以上,自分が表明した主張をそこで全身を賭けて挑むことが責務だと思います.その責任は自らが被る必要があることを学んでもらいたいと思う事が多くなっています.要するに自分の能力を客観的に見つめて,全てに謙虚に挑まなければ成長は無いと申し上げておきたいと思います.

研究室に配属され,その中で自分をどのように成長させるかを謙虚に意識して学ぶ姿に対して,教員は導き,多様な可能性を示唆するものです.その結果,大きなステップを踏むことになります.一つの論文,一つの方法,一つの計算,そういったもので教員は学生と議論します.それは,相互が緊張した関係で,真摯にそのテーマを議論する中で止揚する場となります.そういう場が研究室と言えます.On research training という言葉がありますが,研究室で学んだ事は一生の糧になると思います.

研究者であることとは?

海外での国際会議では,主催者,参加者によるバンケット(晩餐会)が開催されます.その中で多くの日本人は,日本人どうしが集まって雑談をする光景をこの現代においても良く見かけます.語学の問題であるという話がほとんどのいいわけですが,実はもっと本質的な問題点があります.それは,他の研究者と集っても井戸端のテーマ以外に話す事が何も無い人があまりにも多いのです.話す事が無ければ会話はできません.語学以前に,教養主義かもしれませんが一般に海外の研究者と渡り合える人間の素養が不足しているのです.昨今の教育の状況は,まさにこの点で多いに問題があると思われます.民族問題,政治問題,文化の問題さらには文明論,美術,音楽の素養を兼ね備え,倫理感を保ち,人の範として意見を言える理系の人である事をもっと求めてもらいたいと考えます.仲間内の心地よさを求めるなら研究者の道を選ぶべきではないと思います.自らのすべてに基づいてあらゆる事に主張して,自分の研究の地歩を固めることが求められます.

自分の心地よい場所で,ただ静かに自分の趣味的な研究テーマをくゆらすといった研究者のイメージは,どこから生まれたのでしょうか? 今,研究者で有り続けるということは,自らの血と肉を切って共同研究者と共有すると同時に,自ら荒れ野に出て猟りをし,誰も知らない場所で獲物を追いかける生活をどれほど我慢強く続けられるかに掛かっている様に思います.この事と上述の教養とは一致しないように思われます.しかし,自分一人で世界で研究の主張をし,シンパを増やし,共同研究者を増やして行く事は,自分の獲物を逃さないためにも不可欠なのです.自分が単なるテーマを持った獲物にならないためには,人間的に交流できるに足る研究者であらねばならないということを心しておくべきと思います.

昨今,デターのねつ造,剽窃,履歴の改ざん,などによって研究者生命を失う人がいます.これは特に生命科学の分野で多く発見されていますが,我々の工学分野でもご多分に漏れません.研究者が如何にそのテーマをゼロから立ち上げて行くのに苦労するか,それを研究室で学んでもらいたいと思います.研究の最も重要な活動はこのテーマの創出であり,結果を導く作業はそれを勝るものではないことを理解してもらいたいと思います.それを勘違いしたこれらの行為は,研究者としての素養の欠落の結果であり,そういう若い人を輩出する事は教育者としては許せるものではありません.そのテーマ創出を政治的な地位確保と勘違いし,自分の能力を過信した結果意図的に世界的に大いに無駄な活動を強い,多くの損失を生み出すことになったとき,それは犯罪となります.

結果を予想する事は実験遂行では重要です.しかし,同時にその予想を疑う事も重要です.『Yes』も『No』も,その断定をする議論が人類の知識として残って行くということを真剣に考えてもらいたいと思います.良い結果も悪い結果も,真実であることが重要です.その真実を元に新たな論証を試みる事に科学と工学の面白さがあるわけです.インターネットの普及がにわか研究者の層を厚くしました.しかし,きちんとした研究者教育を受けていない人を量産しているとも言えます.研究者である事は,人の結果を尊重し,その上で自らの位置付けをすることです.人を消し去って自分を置く事ではありません.

研究テーマの創出ついて(2007年版)

研究テーマをどうやって見いだすかは,教員となった研究者でもわからない方が多いようです.博士号を持っていても,自らテーマが創出できない『ドクター・ストップ』状態の方が多いのも事実です.それは,博士課程のテーマを自ら苦労して確立したものではないからでしょう.テーマは,身の回りに有るというのは言い過ぎかもしれませんが,工学分野であれば,従来の技術がどういう物理に基づいているかの精査を行えば,その応用展開や類型への展開は可能であろうと思います.そういう,水平展開の研究は工学では常套手段です.オリジナルな研究テーマを探したければ,古典をくまなく勉強する事だと思います.古典的名著,論文はだれもが気がついていないいろいろな内容を蓄えています.

現在,大学でも社会でもオリジナルな研究を求めすぎています.オリジナルとは何でしょうか? 社会基盤を変えるほどのオリジナルな研究は,どこから生まれるのでしょうか? 過去のオリジナルな研究の精査なくして,本当にオリジナルが何かわかるとは思えませんしまたオリジナル性の評価ができるとは思えません.その研究分野の本質的な研究成果をくまなく調べることは,研究者として必須の活動です.そして,古典的な研究が理解された後,今はやっている内容に対してその仮定,結論の限界を見極めることだと思います.

自分の実験で,理論通りでなかったり,過去のデータとそぐわないケースに遭遇したとき,これにとにとことん執着していければ,必ずそこから新しいテーマが生まれます.ごくごく平凡な研究者である私自身も,そのような執着が現在の自分の多くの研究結果を生んだということを身を持って主張できます.確立した理論,結果を自らの手で再度基礎から洗い直すことは,学習と同時に新たな研究を生み出す事につながることを理解して,今後の研究生活に入ってほしいと思います.時として,その際に伴う論文出版の苦労は自信を失わせますが,それが世の中の常識とすれば,間違いないく芽があると信じて行くだけの根拠を持てるのではないかと思います.

我々の研究姿勢

大学院での研究室の選択は,研究の指導者の選択に通じます.自らその考えに共鳴することができる,あるいはその考えに反論することで新しい分野を構築するに足る相手であるべきだと思います.私は配属された学生に自分の手足を求めることはありません.基礎的な手法を確立することを求めた後は,かならず新しい概念を自ら学ぶ事を求めます.これは共同研究者に足る資質を求め,よき研究のパートナーになって頂くためです.そして大学を卒業した社会人と同じ年齢である以上,義務と責務を守った態度を求めています.私どもの研究室は,この点を前提に選択をしていただきたいと思います.

我々の研究テーマは Engineering Science であり,主として非線形動力学の解析と工学的応用です.その応用分野としてパワーエレクトロニクス関連分野,電力ネットワーク関連分野,ハイブリッドシステム論,電磁機械系,ナノメカニズムなど多岐に展開されますが,基本的には従来の工学システムの線形の枠組みを拡張して新しい電気工学の分野の開拓を目指しています.研究室では前例のないテーマになる場合があり,多くの学生の方には実験システムの開発,システムのモデル化から制御まで幅広い検討を求め,研究室外の先生方にも指導を求めることがあります.研究室を選択される場合は,少なくとも非線形力学への興味,制御の実験的展開,ナノ工学などへの興味などが望まれます.指導者の研究については,それぞれの論文リストから適当なものをダウンロードして読んでいただくことを希望します.そして,我々の研究のアプローチを理解いただければと思います.


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Last-modified: 2013-10-22 (火) 16:53:11 (1429d)