我々の研究室に興味を持つ皆さんへ

2016年1月1日版 (暫定版)

 今年度も,研究室紹介,研究室選択,配属の時期がやってきました.本学の電気電子工学科が今の研究室配属の制度になったのは2003年度からです.この間の学生気質の変化,教員の入れ替わり,そして世の中の要請から,予定調和のように同じ方式が維持されています.京都大学工学部の大きな学科で,電気電子工学科は唯一コース制を敷いていない学科です.だから,修士までの6年間の教育期間で研究室選択・配属が折り返し点として大きな意味を持ちます.博士課程に進学を考えている人は,この一年を掛けて折り返し点を加速して通過することになります.以下,これまでの経験から伝えたいことなどをまとめています.新しい4回生には初めてのメッセージなので,参考になれば幸いです.

1.目の色

 気持ちが前向きな人の目は,本当にきらきらしています.なぜなんでしょうか.集中すると瞬きが少なくなり,目が潤んで,しかも顔を対象にまっすぐに向けています.そういう人たちの目がこちらを見つめている場に立つと,思わず怯んでしまいます.一方で,疑って掛かっている場面,興味を持っていないとき,顔が正面を向くことも無く,目も伏し目がちによそを見たり,あるいは目が合った瞬間に反らせる.本当に気持ちのありようがそのままに見えます.

 新入生,講義の初日の学生,研究室配属直後の学生,講演会で前に座った参加者,この人達の目は,自らの思考や有り様を反省させてくれるトリガになります.自分が,慣れてしまって,それぞれを個人として対応していないのではないかという反省,話す内容について直前まで万全の思いでその時に合わせて修正したかという自省,講演や講義中に反応に合わせて変更したか....などなどです.そして,伏し目がちの人たちが目を輝かせるまで自分の言葉で語りかけたかと,講義や講演後に反省します.そして自己嫌悪になります.

 中身のない話に目を輝かせるはずはありませんが,教員と学生,講演者と聴講者の出会いはその時,その場でしかないことにもっと真剣にならなければならないと思っています.話す側と聞く側は上下の関係にあるわけではありません.異なる立場に有る者が刺激を与える平等な関係です.それを引き出す努力がどれだけカリキュラムや講義法で尽くされているかが,昨今の大学教育の見直しにつながっています.アクティブラーニングというのは,教授という講義法では無く,課題設定を経て新たな知の創造を狙うという手法とも言えます.ですから,すでにその場に来た段階で教授は終わっているのです.本来,大学の研究室,ゼミに於いて少人数の教育としてORT(On the Research Training)の手法としてとっりいれられいる様々な手法を,教室に展開したものでもあります.MOOC, edX, COUSERAといった,様々なこれまで個別の大学の中でクローズされいた講義およびその手法が,ビデオとなって世界中に発信されています.その講義のありかたは,一度講義内容を理解したものには非常に魅力的で,教員でさえ多くの気づきを得ます.学生であれば,それを見てしまうと,現在自分が所属している大学の講義室,研究室で行われている講義や指導が,色あせたものに見えてしまうことは避けられません.それが現状です.一方で,出席を取って講義時間に学生を縛り付け,単位の実質化と称して作業に徹することを求めています.これはあまりにも矛盾した状況にあります.

 しかし,リアルな講義は不可欠です.双方がその場をどれだけ必要としているかに掛かっているのだと言えます.たとえば学生実験,実習が,講義時間の割に単位が少ないという不平を良く聞きます.それを聞く度に,この学生は社会に出たときに,それを自分に返すことがあるのかと苦笑いをしてしまいます.「掛けている時間に見合う成果をだし,利益を出しているか」と必ず問い掛けられます.無駄なこと,理不尽に思えることは,その人の知識が足りないからに過ぎません.演習は自分の限界を知ることです.そして限界を知ったとき,それに対処する手段を探す時成長します.自分の力だけでできる人は限られた人です.それを期待はしていません.しかし,一度その流れを知った人は自分でできるようになります.リアルな講義は,その時・場所における真剣勝負であらねばならないと思います.

 目の色は,講義のおけるセンサです.黒板を見て講義,パワーポイントの画面だけ見て講義,そんなことはあり得ません.ましては,ビデオは一方通行です.相互に目の色を見て,その内容をさらに高めることが講義の場です.そして,コアな部分は別として,毎年同じ講義など決してあり得ないということも言えます.合格ぎりぎりの人にも,先端を目指す人にも同時に成立する講義は,相互の関係に掛かっています.研究配属後の研究においても同様です.目の色,そして言葉,生活のありようを尺度として,今年一年も学生の方々に向き合いながら研究を進めたいと考えています.

2. 講義, されど講義

 昨年の講義で面白いことがありました.担当している全学共通の講義で,講義室の定員の関係で何人かが履修登録できませんでした.ところがそのうち数人が,「単位は要らないから講義を受けてよいでしょうか?」と言ってきて,登録ができた学生と一緒に,講義が終わってから毎回最後まで議論してくれました.私が学生のころの昔話をすれば,単位とは関係なく聴きたい講義を聴くというのは普通のことでした.単位などどうでも良く,成績などどうでもよい指標でした.しかし,今は違います.ゴールが明確であることを示すことが求められ,この効率ばかりで評価にする時代に,無理強いされること無くこのような態度を取る学生の考え方を面白いと思わざるを得ませんでした.PDCAなんていう,いかにも非生産的でくだらない作業とは全く相容れない活動です.

 私が受け持つ全学共通の物理の講義は,高校の物理から大学の物理への過程にあって,高校の時に与えらた現象の仮定を外す或いは考える対象としなかった現象を記述して解析し,そしてその一般化のプロセスを学習する内容です.一般的には,この習得を経た後にアドバンストの内容に進めます.そういう内容を単位とは関係なく理解することが重要であることは明らかで,この講義関連の内容で未だに沢山の論文が書かれ,等身大の物理から,ナノ,マクロとスケールを越えて多くのインスピレーションが得られる古典的分野です.

 同じ講義で,「既にアドバンストな科目を学習したからこれは必要ないと思います」と言い切られたこともありました.その学生さんと丁寧にお話しし,単位と関係なく一度聞いてみてはどうですかと進めました.それは,アドバンストな内容が基礎を包含しているという勘違いによります.アドバンストな内容は,学問の体系から一部をさらに発展させているケースが多く,基礎の全領域をカバーするとは限りません.そのため,新たな領域の展開には時間が必要です.一方で基礎領域は,横展開が可能な理論体系にまで仕上がっており,まだまだそこから新しい分野が生まれてきます.そのことから,一足飛びにアドバンストな講義を知るのも背伸びとして良いですが,一度その知識を持って基礎を見直すことが大切であることを理解してほしいと思っています.

 講義の内容は完成された手法を教えるものだけであってはなりません.そこから新しい分野への展開の知見を示さなければなりません.それは教える側がすることではなく,習う側が他の知識と融合することによって見いだすことになります.講義とはそのようなひょっとしたらこれは関係があるのではという直感と確認作業の練習の機会なのです.一方で,教える側も新たな理解を講義で問いかける挑戦もしています.3年経ったら講義法,講義内容,ストーリーを見直すことで,自ら新しい研究領域の発見につながります.そのような日々の作業が,研究の広がりと深さを生み出します.教員と学生が相互のそのように研究を深めて行く場が大学であるとすると,リアルな場なしに,先端まで出て行くことは非常に難しいと言えます.

3.研究する?

 京都大学で研究を経験することは,身近に世界の最先端,最外縁,あるいは前例の無い領域で,既存の理論・手法ではたどり着けない知見があることを知ることになります.その姿を見ることで,自分がそこにたどり着けなくても,たどり着くという研究という行為を知ることになります.このような先端の研究行為に触れた人にしか,研究の必要性,あるいは重要性が分かりません.シンパの人たちを育てることも研究室の重要な役割です.

 卒論の試問,修論の公聴会でそのオリジナリティはなんですかと尋ねる教員が居られます.あまり深い意味が無いのかもしれませんが,学生がそれを自ら答えられるとしたら,それはとんでもなく素晴らしいことだと思います.簡単に,周囲の研究状況,自らの位置づけを問うのとは違います.そこまで検討を尽くして研究を進めていることはほとんどありません.とすると,先生がそういった,人がそう言った,どこかに書いてあったということにしか過ぎないのです.そのことを見直してみましょうという示唆と言えます.

 研究は研究へのアプローチ方法を学ぶことからはじめます.先人たちがまとめてくれた図書,論文から学びその思考を自らなぞることで形式を学びます.その中で,矛盾,限界,展開について学びます.そして,少し冒険してみる.こういうことは別に研究室で無くてもできます.しかし,集中して短期間に訓練することで身に付くものです.その際に,研究室のものの考え方,アプローチの仕方が大きく影響します.明らかにその指導者そのものの考え方が入り込んできます.

 「研究する」とは何かを考えて見ましょう.大学には,既存の技術や現状を分析する解析に根ざす学問体系(アナリシス)と,ボトムアップに既存の技術を基に新しい価値観や技術を展開する,あるいは横にシフトする合成・統合(シンセシス)の体系があります.世界の技術の歴史はこの繰り返しです.なぜアナリシスが必要かを考えると,これまでは個人の中でシンセシスされ,職人技として完成された技術が現代科学の基礎となっているからです.その突出した技術を蓄積し,敷衍することが,職人間の相伝,それを集積した大学にだけ許された権限でした.研究の情報となる文献を手元に持っている者に解析が可能になり,他と違う主張が可能になりました.これは,何も研究者が偉いわけではなく,持てる資産に頼った独占的な行為だったのです.現在,研究に関する情報は品質は別としてネット上で容易に集まります.以前では一週間以上掛けて集めた情報が,秒で集まります.その意味で,優先的に使える情報を有し,優先的な利用を可能にする大学という組織は意味を失いました.講義もそうです.

 世の中が求める研究の質の変化に日本の大学は明らかについて行っていません.少数の研究者が自分の有り様を肯定する,知見を解析した論理の妥当性を開示するという研究,そしてその講義は,追いつけ追い越せという時代の名残です.物事の本質は何かを追求するまでには至っていない生なものが示されていました.それを再び,学習する学生が解析するということの繰り返しででした.このタイプの研究にもとづく追いつくための教育が必要とされた時代の教育者・研究者育成の手法でした.ですから,大学で習ったことはなんの役にも立たないという先輩の企業研究者・技術者が多かったのは当然のことです.

 一方で,何もないところで何かを生み出すということは,どういうことかを大学で全く教えていません.科学史を学ぶことはワクワクします.電気電子工学科で言えば,電気磁気学の講義と実験がその歴史的発展の流れを講義の中で再体験するする機会を与えています.その上で低次元の対象としての回路理論があり,物性物理があります.もっと,その必然性を学び治すことが必要だと思います.否定されたエーテルの存在が再び議論されることは,結果から見えるものではありません.重要なことは,仮定し,条件付けして抽象化して中で,当面は考えないことにした事実です.そこから始まる世界が,過去の蓄積から始まる,最初の一歩です.

 その様な練習のあと,統合することによる一歩があります.博士課程の学生にはいつも必ず3つの異なる仕事をするようにと指導します.理論,計算,実験でも良いですが,それは手法に過ぎません.半導体,回路,システムならば対象の物理の違いとなり,知見を広げます.電気機器,制御,メゾ領域の電磁気学でもかまいません.それは自分の興味や能力に依存します.そのことに意味は,それぞれの課題で行き詰まったときに明らかになります.その時が来たら,これを読まれた人は思い出して下さい.自らにそのノルマを課せる人であれは,研究者として生きていけると思います.逆に避けた人は,別の道を選ぶことを薦めます.そのような人に指導された学生が自分が経験した以上のことができないからです.大学の研究者は後進を育てる人です.だからこそ完成した存在を目指さなければならないと思います.これについては繰り返しになるので,過去に書いた文章を読んで下さい.

4. 思うこと

 世界も,日本も,大学もグローバルなリーダーを作り出すと言っています.「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」と慶応義塾大学塾長であった小泉信三の言葉があります.現状を批判して改革を唱えるのは,単純な改革型の大衆迎合です.それを政治家が言うことは世論対応としてはあり得ますが,大学人が自ら唱えることは自己矛盾です.それを唱えたら最後,大学は自らツケをを払うことになります.既得権益の受益者を敵とするという大衆迎合を打つと喝采をあびるという単純な構造は,有るときは公務員改革,有るときは企業経営刷新,有るときは市場開放などに向かいます.そして手が無くなると教育改革を打ち出すのは,世界中で見られる状況の繰り返しです.そして,それを意図してコピーしている我が国の為政の問題は,肝心の問題から目を逸らせる方策に過ぎません.ほとんどの人が分かっていても声高に言えない世の中の状況こそが危ないことです.システムが大きく変わるとき新たな利権が生まれます.要するにそれを欲する行為に他なりません.

 我々は所謂ロスタイムに生きているだけなのではないでしょうか.だからこそ,チャンスもあればあきらめもあります.多くの雑音は,当事者でないものの声援と罵声に過ぎません.ロスタイムは結果から繰ると忘れられるものです.だからこそドラマがあるという気がもます.一方で,ロスタイムまで持ち込んで来たこれまでの蓄積無しにはこの一瞬一瞬があり得るはずもありません.

 既に誰かが始めたゲームで,人が決めたルールの下で上位に登ることは演習です.その中でトップに出ることは組織として分析し,資源を集中し最適化することで可能になります.必要なことは,突き抜けた上で新しいゲームを始めることです.これまでのものを理解せずに否定し,また既成概念を否定し,チームと組織ごとガラガラポンと解体することを一見革新の様にいう人がは、既得権への挑戦という美酒に酔います.しかし限られた組織を素人組織に戻すに過ぎません.歴史を見ても何度もあら合われる稚拙な改革です 注1).

 大学の教育の姿が大きく変わりつつあり,一人で理解するまで自学自習として勉強するのでは無く,多くの人で共同学習し,そのアクティブな経験から,人の知見を駆使して,新たな概念の可能性をテレビゲームのように試し,負けたら次をトライするといったあり方が今もてはやされる教育システムです.講義中に行うゲーム感覚の投票システムや,そのリアルタイムの表示がなされます.もう十分です.衆愚のクラウド型勉強が「すぐに役に立つ」という学習としてもてはやされます.でもなんだか,日露戦争の二百三高地の戦略(司馬遼太郎の小説から)を見るような気がします.どこに目標があるか分からないまま.....

5.おわりに

 学問は知識の優劣を競う種目ではありません.論理を尽くすことであって,強弁による勝ち負けでもありません.相互に未完成な複数の論理を同時に当てはめ,それらの上に新しい論理が組み立てられるか,あるいは包含するかといったことを,真摯に考え続ける無償の行為です.その訓練ができ,姿を見ることで実践に臨める教員を見つけ出し,自らをボーダーの外に押し出してくれる指導者を選ぶことが研究室選びだと思います.この機会を大切にして下さい.

6. 追記

昨年のお正月以降に聞いたわかり易い言葉をアレンジして記しておきます.

1.やらないリスクより,やったリスクを取ったほうが後悔しない

2.なんでもやってみること

3.失敗したらやり直したら良い,だから楽しくやること

4.でも,安易な低いところに流れずに,難しい方向に挑みなさい

5.その姿にならサポートしたいと思う

注1) 大学の既得権とは,学生定員,学位審査権,そして人事権です.それが組織改革および教育と直結しています.


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Last-modified: 2016-09-20 (火) 11:48:30 (423d)