FrontPage

2010年度版

この研究室はどんな研究をしているのか,指導教員はどんな人かを知りたくてこのホームページを尋ねられたものと思います.そういう人に対して,冷や水を浴びせることになるかもしれませんが,私が考えている研究について述べます.その上で研究室を選択してください.

1.電気エネルギー分野(思い出話から現在,そして今後)

私が学生のころからずっと,電力分野もしくは電気エネルギー分野はそれほど人気がある分野ではありませんでした.私自身,古くさい分野だと思っていましたし,講義でも何か分けのわからに定数をまじないの様に教えて,覚えろという講義ばかりで,そんなものは学問とも思えませんでした.研究対象となる電気機器も,最先端の科学につながるとは思えないようなローテクの機器で,たとえその現象が面白くても,とても勉強したいと思えるものではありませんでした.その結果と言ってもおそらく問題は無いと思いますが,我が国だけでなく世界の多くの大学でこの分野の研究者が居なくなり,研究室が消え,そして専攻が消えてしまいました.京都大学ではそれに対して,基礎研究の対象として維持して来たのが事実です.京都大学の電気系でも,教員の間でも電気エネルギー分野の不要論が有り,新しい分野への転換を図る圧力が高かかったのはさほど昔のことではありません.

本来,電気エネルギー分野は電気工学のあらゆる学問の基盤となるシステム分野です.学問は基礎と応用が絡み合うことにより止揚して新しい展開を生みます.ところが,電気エネルギー分野の研究は,もう既に大学の基礎研究が実験などを進めても現場の問題を解決することもなく,また応用されることも無く,単に基礎として知識を貯えるに留まらざるを得ない状況になってしまっていました.言い換えると,大学で学問的にいろいろな検討をしても,システムではなく企業として成熟してしまった電力業界が,大学の研究成果に重きを置くこと無く,さらには大学に現場の研究を押し付けることで,大学の本来のあり方を損ねてしまった結果,学問として発展できず,分野が衰退したと言っても言い過ぎではありません.一方で,大学でも,昔からの学問大系に固執して,一向に新しい考えを吸収しなくなった研究者が,業界との関係維持だけを続けてしまったのも事実です.

ところがどうでしょう.アメリカ合衆国のオバマ大統領がその選挙キャンペーンの過程で,エネルギー政策を一つの目玉とし,ノーベル物理学者である Steven Chu をブレーンとして新しい政策提案から科学技術を動かす壮大なキャンペーンをはり,そして実際の技術分野を動かし,京都議定書では後ろ向きであったアメリカ合衆国に新しい技術概念の武器を与えてしまったのです.と,とたんにその勢いは科学研究費の地図を書き換え,世界を巻き込んで大きな変革の流れを与えてしまいました.そして,世界中の大学で,もとももと電力の教育を受けたことの無い物理学者,他分野の工学者が,猫も杓子も「エネルギー」「パワー」「グリッド」と声を荒げて動き回る様になってしまいました.日本も同様です.あげくの果ては,他大学の情報や通信工学科といった学科で電力分野の教員を募集する様にまでなってしまったのです.これは,お金の世界が大学の学問の世界の構造に反映してしまう,非常に悲しい話です.(現在新聞を賑わしているグリーンやエコの記述でも,学問とは関係ない業界の勢力争いのコメントや,政治ばかりで,本当の学問としての正直な評価がありません.御用学者の未来の予言は,信じられる未来ではありません.)大学は,短期的な世の中のはやりすたりと関係なく,必要な知識を蓄積し,基礎的な学問を必ず教育していく組織であらねばなりません.それを忘れてしまった大学の見識の無さと体たらくは,あるべくして起きたと思います.すなわち,学問と分野を混同している,応用分野と基幹となる学問を混同しているということです.元来,電気エネルギー分野は電気電子工学の応用分野です.確かに高度経済成長期は多くの学問分野を生み出す源泉となりました.たとえばその中からも物性への学問的深化から半導体分野が生まれて巣立って行ったのです.したがって,応用は必要性を失った時に消えて行くものであり,同時にそれに頼った学問は無くなってしまいます.だから,本当の電気エネルギーの基礎学問とはなにかと言われると何もないのです.では,どうあるべきであったかと考えると,もし分野を維持するなら電気エネルギー分野もその時々の新しい学問,技術を取り入得て常に進歩すべきであったのです.それにもかかわらず,究極のアナログネットワークの世界として残ってしまった:工学のガラパゴスの様な分野になってしまっていたのです.その価値に気づいたのが先のアメリカ合衆国の動向ではないでしょうか? 器用に効率の良いシステムを作っていた日本のこの分野のからは想像だにしない,大きな流れとなってしまいました.ビジネスは定常状態では成り立ちません.そのポテンシャルのグラディエントが大きければ大きい程,資本が動きチャンスが作られます.その意味で見事に成功したわけです.

通信は1990年代にアナログ電話からディジタル電話に大変身を遂げました.それが携帯電話の大普及に拍車をかけ,コンピュータネットワークを取り込んで,音声通信と情報通信は一体化した経緯を振り返ってみれば,つぎに起こることは容易に想像できます.それは,現実の物理層に情報ネットワークが入り込み,その伝送および制御を実現する世界に展開することです.その最初が,電気エネルギーというインフラの大改造につながるのは至って自然ではないでしょうか?なぜなら,すでにコンピュータネットワークや通信ネットワークは電気エネルギーネットワークと共存しているからです.

今後,おそらく10年は電気エネルギー分野,情報通信分野 (ICT) の統合が一つの大きな流れになることは避けられません.このはやりで動くことが大学がやることではありません.これまで通りの研究の上で,必要に応じてこれらの分野に貢献し,新しい概念形成を行って行くことが我々に課された使命だと思えば良いと思います.電気エネルギー分野は全ての電気電子工学の分野からの応用分野なのです.だから,垣根を取り去って,物性も通信もシステムも,必要に応じて展開すれば良いと思います.そういう柔軟性を持つ,あるいは生かせるのが,若いこれから勉強しようとする人たちなのです.既成の学問を宗教の様に信じてはいけません.また権威の言う言葉は裏を読まねばなりません.それができるための勉強を続けてください.

2.研究室の道筋

大学の工学分野における研究の一つの形は,応用分野を主眼とせず,その根本となる学問を確立・発展させ,それを適用する分野を時代とともに作り替えて行くことです.我々の研究室は非線形動力学・科学を学問の柱にしています.その応用先が電力変換技術,電気エネルギーシステム,MEMSなどです.さらにそれらを昇華して再度数理に戻します.あまりにも違う分野を並べていると思われる方も多いでしょうが,私に取っては応用分野は時々のものに過ぎないことから,至極あたりまえなのです.入り口は非線形動力学なのです.もちろん,応用分野からいきなり入る人もいます.しかしその中で根本の考え方をおろそかにしても結局は表面的な勉強にしかなりません.必ず非線形の基礎としての勉強をしてもらいます.それが新しい学問,応用分野へのフレキシビリティを生むと信じているからです.

研究室に配属された方の多くは,早く研究の題目を与えてもらいたいと思っています.それは落語会のお題です.気持ちはわかります.たとえば親に会った時に「何の研究をしているのか?」と尋ねられたとき,題目で言い切ることができるからです.しかし,そういうことは本当に研究の訓練をしたあとでなければ何の意味も有りません.お題をもらうまでは必至に要求して来ても.その後の勉強をするわけでもなければ,それほど逆に怖いことは無いということを就職の面接などで経験される方も多い様です.学問,研究は付け焼き刃では何の役にも立ちません.学問の系譜を踏まえ,それらを地道に学習した後に,自らのテーマの問題点を再構築できたとき初めて人に対して示すことができるものになるということを知ってもらいたいと思っています.

研究に向かうための近道は,興味を持てる分野の勉強を寝食を忘れて実行することです.締め切りを決められてする試験勉強ではたどり着けない世界です.なぜなら,どこまでやってもこれで良いという勉強ではないからです.昨年ある番組で『みずから限界を決めてしまったときその人はそれ以上の力を出さず,適当に力配分をしてしまう』という話を聞きました.その通りだと思います.学問でも同じで,試験に通る勉強を繰り返すと,単位数分の1の力配分で勉強する習い性ができてしまうものです.疑問があっても,また興味が有ってもそこに集中して勉強することに価値を認められなくなってしまうのです.新しい研究をしたければしたいほど,力配分などせずに今の全てに全力で走らなければならないのです.大学入試は,上に述べた配分を最適化した人が制します.それを否定はしませんが,入り口に過ぎないことをほとんどの人が理解できていないのです.研究の世界は持てる能力を配分せず,全力を出し切って走り続け,先頭に飛び出した人だけが分野を作ることができるのだということを知っておいてください.そのためには,遊びも次に来たタイミングで伸びるためには不可欠です.

ただ自分だけで思索を続けても,人類の科学史を自分が再発見できるはずはありません.従って,良い環境に出会わなければなりません.良い環境とは,自分が出会う人・課題・時です.そんな偶然に近い出会いがその後の研究生活の生き方を決めてしまいます.それほど重要な出会いとなります.卒業,修了後に技術者,研究者を続ける人に取って研究分野はどんどん変わりますが,研究に対して受けた考え方,指導は一生変わらないケースがほとんどです.それほど,アプローチの手法を決めてしまうものなのです.その中で自分が目標とする人をみつけた時,道が自ずから決まって行きます.

皆さんは,これからの京都大学の研究の前線にでて,新しい分野を作っていく人です.その気概と自信に,知識を獲得する地道な力をつけて挑んでいくとき,道は開けます.いたるところに未開拓,未知の研究が埋め込まれているからです.それが新しい研究への手がかりとなります.

3.さまざまな疑問

寺田寅彦が身の回りの現象にその背後のメカニズムを見た時代,それはまだ江戸時代から西洋の科学技術を輸入して我が国に定着させるための作業を続けていた時代です.その時,西洋と同じ科学の基礎を学習した訳ではない彼らが,如何にして先端科学まで達することができたかを考えたとき,その爆発力のすごさを感じます.たかだか科学技術の基本ルールと使い方を知っただけの人間が,どうしてそこまでいけるのか?多くの疑問があります.元になった思考は,日本の従来の勉学であったにちがいありません.

現在でも多くの国で十分な書籍も無く,科学教育を受ける機会も無い世界があります.にも関わらず彼らが,携帯や通信衛星などの最先端の科学技術を使い,インターネットに接し,その膨大な知識に一瞬で触れることができるようになってしまいました.いきなり大容量の情報のメモリーを処理能力の無い演算装置が得たことにも等しく,まずはルールから学習をはじめる,使いこなして行くことになります.その過程が,従来の常識を超える方法になるかもしれないことを予想しなければなりません.我が国では,人間のコピーを作るのではなく,自ら創造する力をもつための教育的試みを受けたゆとり教育世代が現れました.彼らの能力を従来の教育の尺度から測った限り,それは不十分な学力とレッテルを貼られることになります.しかし,その判断できめつけたとき,この世代が社会から葬り去られてしまいます.そんな村八分のような教育をして良いはずはありません.彼ら彼女らをどのように教育して行くかは,重要な課題であり,大学に与えられた宿題ではないかと考えています.

こういったことを考えるとき,知識として方法論を教えて行く今の大学の教育が適切なものであるかどうか疑問を感じています.従来の知識の蓄積を教えることは,同質の技術者,後継者を作って行くときは効率的な手法です.しかし,このような教育から本当に今の閉塞を打開する新しい技術や世界が生まれてくるのでしょうか? 本来科学は,その根源に疑問があり,そして工夫から技術が生まれ,さらに新たな世界を創造するものです.確かに基礎は弱いかもしれません.しかしきちんとした基礎に乗っ取り,データや情報から類型を導きだし,あらかじめ与えられた知識に当てはめるのではなく,技術を再発見し,その結果既存の技術であっても自ら導きだすことができればそれは次へのステップにつながります.そういう人を育てることにシフトすることが必要なのではないか といった思い・・・これをどのように反映するか思い悩んでいます.

自らが研究者を続けて行くことができるエネルギー源は「疑問」です.なぜ,何が,どうして,どのように・・・これらを大切にしたいと思っています.加えて,表現論をおろそかにしないことが必要です.最後に,反対意見の人と真剣に対峙することを厭わないことが不可欠です.

4.求めた環境,学生,研究者:そしてこれから

私が京都大学で研究室を運営する様になって今年で10年になります.本当にあっと言うまでした.この間に自分が何をやり,なにを伝えて,何を残して来たのか,顧み反省することも必要です.私が目指したのは,どの分野でも自ら切り開くことができる人を育てることでした.研究室が半講座のころに配属された学生の方々は,本当に苦労されたと思います.その方々が現在,それぞれの世界で中心的な存在になりつつあることを嬉しく思っています.彼らの多くは,ほとんど研究とは関係のない仕事をされています.肝心なことは,分野や手法ではなく,一緒に進めた研究の共有体験であり,テーマを一緒に練り直し,議論してアプローチし,自らの知識の範囲を超えた(むしろ弱いところで)工夫させることであったように思います.その中で,ぶれない目標設定を私が保ち,皆さんに達成感を感じて頂くことができたことが重要な点であったと思っています.たとえその結果が間違ったものであってもそれを検証することの重要性を重視して来ました.

研究室に人が集まる様になり,スタッフも増えていった時に行ったことは,異なる価値観の人を常に私の周りに置くことでした.それは,自分の限界を超えて仕事をすることを自らに課すると同時に,相手にも同様に求め,常に緊張感の中で仕事をすることでした.当然ながら多くの軋轢が生まれ,学生の方も左右されることがありました.私自身がぶれ悩み,失敗しました.自分と同じ環境で過ごした人や後輩は,結局は同質の人たちです.その中で過ごすことは非常に心地よいことです.しかし,大学の研究を進めるという観点で,これは間違っています.あえて,研究室のヒストリーが異なり,異なる考え方の教育を受けた人を混ぜることは,研究者としては大きなリスクを背負いますが,両者の持てる能力が止揚したとき,得られるものは大きいと信じて行いました.

次に行ったことは,学生に留学生と共に研究する環境を作り上げることでした.日本人だけの同質な学生集団で行われることは,お互いに説明の無いまま,雰囲気ですべてを決めて行くことです.研究も言わなくても伝わるといった道の世界の様な話が生じます.少なくとも科学技術に携わる人たちを育てるためには,異なる文化の人,価値観の異なる人,そして年齢,性別を混ぜ,言葉をかわして議論することが必須となります.しかし,自然にこのようなことができるはずはありません.そこで人を選んで,留学生,滞在研究者として受け入れ,研究室の学生と一緒に育てて行くことを設定しました.ちょうど桂に移転する時期でもあり,多くの問題はありましたが,研究室の一体感を高めることができたと思います.ただ,この間受け入れた留学生,研究者が中国に限定されていたことがあり,共通言語が日本語と中国語という課題を残しました.

これらの経験を経て,私自身が海外に共同研究者を求める方針を打ち出しました.そのために,武者修行の様に毎年海外の研究者の所に行って研究成果の講演をする,国際会議でこれはと思える人を捜すという地道な作業を進め,本当の意味で信頼できる何人かの共同研究者を得ることができました.ただ,私からすると全て年齢が下の人を選びました.私が多くの分野を亘って来たことで,研究のレベルが数年後の彼らと丁度釣り合うということと,彼らが今後私の研究室の学生が尋ねて行ったり滞在して共同研究者になるとき,私が一線を退いても頼ることが出来る様にと考えたものです.また,彼らの学生をも研究室で受け入れ,私の共同研究者として遇することを続けました.このような地道な活動の結果,複数の学生,スタッフが彼らのサポートを受けて在外研究を行うことが当たり前の研究室になりました.

現在,大学の専攻,研究科を超えた研究活動を進めています.これは,我々の研究を国内の蛸壷の中の蛸の趣味にせず,つねに国内外で厳しい評価にさらされるようにするためです.現在もその活動中です.特に,応用分野で企業,他大学等々との連携をすすめることも,学生の皆さんの視野を広げることができるようにすると同時に,外部の厳しい評価の目を受けて,税金で研究を続けることを意図しています.

今後,これらの全ての過程を経て,漸く世界でも非線形分野の研究室として知られ認められる様になったと思っています.それぞれの過程で過ごされた学生の方から見れば,だいぶ変わってしまったと思われています.現にそのような声を聞いています.しかし,大学,研究室は常に成長しなければならないものだということを理解してもらいたいと思います.それぞれが居た時代を顧みてなつかしくすばらしいと思う気持ちは認めます.しかしその時と場所は,研究室の成長の過程の1ページにすぎないのです.明日も同じであればその研究室はすでに成長を止めた所と思わざるを得ません.大きな果実は大きな環境の変化を経る過程で生まれると信じています.だから,少なくとも現在は,我々の研究室で研究することが世界の第一線の仕事になっているということを意識してもらえるものに,名実共になっているということを自信を持って言えます.

一方で,研究室の共同研究に携わった人が独り立ちしたとき,研究室のテーマから離れることを希望しています.もちろん学位で携わったテーマは深化させてほしいのはやまやまですが,それは大学だけの論理です.新しい場所で,新しいことを,新しい人と始めてほしいのです.せっかくのチャンスを過去に固執することで失うことは往々にしてあり,それを人は順応性の欠如,過去の研究への固執,協調性のなさなどといくらでも悪く評価します.得たものはある研究の創造とアプローチで十分です.修了した人がお互いに共食いをしないように,全ての学生に異なるテーマを設定しているのですから,他に何かおいしいテーマは無いかなどと振り向いたりきょろきょろ見るひまがあったら,自分が今任されているテーマを深化させてほしいのです.私は,自ら新しく課題を創出できる人を育ててきたつもりだからです.スタッフも所属した学生の方にもこの点を強く希望して来ましたし,これからも希望します.(卒業生の方が読まれたら,今一度気を引き締めてもらいたいこと思っています.)もう一度書けば,自分でゼロから研究を立ち上げて行くことができる力をつけることが研究室の研究指導です.

これから,研究室に加わる人に希望することは,研究のオリジナリティ,プライオリティを尊重し,独り立ちするまでは素直に学習する姿勢を保つことです.そして,必ず自分の意志でここから巣立って行くことです.これまでは,その中だけで成長を疑似体験できる環境を造ってきました.しかし,もうそのお膳立ての時代は終わったと思います.自分が望めば研究室,専攻,研究科やりたいことは何でもできるはずです.私自信も,もう一度ゼロから新しい研究を築いて行きたいと切に願っています.だからこそ,私の研究活動をも尊重し,切磋琢磨して独り立ちして行く研究者・技術者を目指す人に加わってもらいたいと思っています.そして,研究室を離れた先輩たちには学生の活動をエンカレッジし,陰に日向にサポートしてもらいたいと思っています.決して自分が彼らの前に立つのではなく!

5.おわりに

私が目指して来た研究室は,"At the Helm"(研究室運営マニュアル)に書かれているようなアメフト式の職域分業を重視したアメリカの実験系研究室の一見まともに見える構築論では求められないものです.少なくとも,我々の研究室は,研究テーマはPIが設定し,それを個人の能力を高めるためにもちいつつ,新しい方向性を与えます.研究推進の個人の能力を高める中で,さらに研究の深化を求め,課題設定能力をつけてもらいます.これから研究室に加わる人たちは,これまでのヒストリーの先で活躍する人です.アプローチに全く新しいことはおそらくありません.それを意識して頂きくことが重要であると思います.研究室の運営は机上の空論ではありません.誰一人の教育研究に失敗は無かったとは言えませんが,反面も含め結果的にはそうなっていることを嬉しく思っています.

(補遺)研究には早すぎると言うことがあります.どんな研究にもそれが認められるための周囲の知識の高まりが必要です.「あなたの研究は少し早すぎた」と言われることこそ,研究者としての喜びではないですか?

過去の記載内容


トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2020-09-04 (金) 16:47:30 (1322d)