研究室配属を希望される皆さんへ?

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研究室配属に関するコメント(暫定版) (2007.7.7)     by 引原隆士

はじめに

ホームページで私見を述べることの危険性,およびその反応がどんなものであるかを充分知った上で,このページを書いています.内容に関する反論や意見があっても,それはご自分で消化して下さい.HP等で書き込まれているいろいろな私へのコメントは,良きにつけ悪しきにつけ,大学で私の講義,実験等で受けた感想などから自らの位置づけを得る機会を持たれたと判断され,個人的にはそれらの発言の目的を充分に達したと考えています.

大学と研究

ゆとり教育という言葉の是非は別として,ゆとりが悪いということは無いと思っています.ただ,教育の朝令暮改的な改変は,長い目で見てある世代に対する社会的なひずみを生み出すことも事実です.大学に入学して来たゆとり世代がこれからしばらくは大学のメジャーです.ところが社会的に出た後はマイナー世代になります.また,ゆとり教育の揺り戻しがなされることが決まった今,この世代はずっと社会ではマイナーでその歪みを良くも悪くも抱えて生きて行く事になります.問題は,その世代が自らの教育内容を同じ世代の中で客観視できないことです.すなわち,何が良くて何が悪いかが自ら知り得ず,つねに上下の世代との比較を繰り返し,社会から退くまで追い求めないといけないということであろうと思います.

理系も文系もその基礎教育は,自然,人文,社会の解明を指向した論理学とその演繹です.昨今の受験中心の教育から抜けているところがこの論理性の追求であるというのは表面的すぎるかもしれませんが,子供の頃からの教育の根幹をなす観察と論理の両輪が今の初等教育から欠落しているのではないかと常々感じてきました.『なぜ』という疑問を持てない,それを知るに至る仮説の立証,棄却の繰り返しが,余裕を持って教育されていないのではないかと思います.小学校,中学校,高校とそれぞれの段階で,これらを助ける読み,書き,計算を無目的に学習し,知的好奇心と合体させるということが本当に各人の教育で達成できているかどうかに疑問を持っています.それを打破しようとした試みがゆとり教育にあったというのが主催した側の主張です.その点は同意します.ただ,このゆとりも目的最適化されてしまって,ゆとりではなく単なる教育の最小作用の最大効果を求める作業に落ちてしまっているのが現実です.未履修・・・不幸なのは未履修となった当人でしょう.自らの知識の幅の無さや内容の薄さから,本当の学問の意味を知るチャンスも眼前にあっても理解できないまま,単に中身の無い調査能力を研究能力と勘違いして相互に評価し,地道な本当の学問的作業を遂行できない.こんな学生を生んでしまった現状は,ゆとりとはかけ離れています.

一方,昨今の大学教育は教養部の解体で教養教育から専門誘導型の基礎教育に変化しました.ところが初等教育が上述の様に充分に機能しておらず,基礎力の無いままに専門教育を施すという状況となっています.学部でも,大学院でも,基礎の積み上げが新しい分野を生むにもかかわらず,狭い専門の講義もしくはオムニバスな表面的知識の詰め込みを教育と勘違いし,きちんとしたストラテジーを組むに至っていないのが現状です.教員側は早く古き良き時代の遺産に頼らず,新たにどういう学生を育てるかを一刻も早く提示し,基礎教育を中心とするシステムを構築すべきと考えます.

大学の4年間で学習する事は,最先端の研究の現場でなされている課題ではありません.ある分野の基礎から広がる学問大系の端緒をつかみ,その入り口から先の未知の分野に入って行けるだけの基礎を自ら学習できる力を付け,方法を知ることです.それであればどの分野に展開しても生きて行くすべがあります.今,電気電子に居る人は,知らず知らず電気電子工学の基礎を通じて,”物理”から現在のネットワーク社会を構築する基盤技術のシステム技術に基づいてものを見る術を教育されているのだと言うことを理解してほしいものです.所詮,会社にはいった所で,必要なのは個々の知識ではないのですから.

大学での学習を活かすこととは,まさにその経験をどのようにその後に展開するかです.消化されていない単なる網羅的知識や根拠の無いまま言葉を運用する能力など,現実の前には役に立たないばかりか,人に害を与えます.三面記事的な科学知識をひけらかして世の中を渡ろうとは思わないでほしいものです.せめて一つの分野で自分で分かったと言えるまで突きすすんでもらいというのが私の気持ちです.

研究者へのステップ

学生が研究室に配属されるということ何を意味するのか?

研究室に配属されて初めて,皆さんはいわゆる研究者としての教員と直に触れ合うことになります.これまでは教育の側面での一過的な出会いをした教員が,個々の研究において何を考え,何を目指し,どういう資質を有しているかを知ることになります.研究室の選択は,このような人間との出会いが最も重要なウエイトを占めます.上に述べて来た基礎教育の上に,自分の能力の限界を知り,それをさらに補強して伸ばす機会をこの配属に求めなければ意味がありません.毎年言っていますが,卒業研究は与えられた課題を与えられた手法で,確実に処理し,論理的な研究遂行のプロセスを学習します.大学院では,さらに与えられたテーマに関して仮説の設定を行い複数の手法でその論証を行います.工学の学生が陥りやすい落とし穴は,ピンポイントで一般性の無い理論,実験結果,さらにはアルゴリズムを構築し,その研究の位置づけが出来ないことです.

与えられたテーマを自分なりに調理することは大切です.しかし,上に述べた素養の幅が無いと調理した結果は,事実の積み重ねから演繹される相互の関係の見えない,データ集以上にはなり得ません.自分に足りないもの如何に補い,如何に伸ばすかを真剣に考えて下さい.そういう場を研究室に求めてもらいたいと思います.自分が苦労しないことばかりを続けても成長はありません.そんなことができるほど技術,研究の道は浅く有りません.基礎的な積み上げなく研究テーマを何の根拠も無く主張し,それに執着する若い人が増えています.本当に自分がその分野で仕事を出来るかどうか,主張した以上自分が表明した主張をそこで全身を賭けて挑むことが責務だと思います.その責任は自らが被る必要があることを学んでもらいたいと思う事が多くなっています.要する自分の能力を客観的に見つめて,全てに謙虚に挑まなければ成長は無いと申し上げておきたいと思います.

研究室に配属され,その中で自分をどのように成長させるかを謙虚に意識して学ぶ姿に対して,教員は導き,多様な可能性を示唆するものです.その結果,大きなステップを踏むことになります.一つの論文,一つの方法,一つの計算,そういったもので教員は学生と議論します.それは,相互が緊張した関係で,真摯にそのテーマを議論する中で止揚する場となります.研究室でしか経験できないことで,そこで学んだ事は一生の糧になると思います.

大学で学ぶべきことは何か,もう一度良く考えて下さい,それは単に電気電子一分野の狭い領域の知識ではありません.

研究テーマの創出ついて(2007年版)

研究テーマをどうやって見いだすかは,教員となった研究者でもわからない方が多いようです.博士号を持っていても,自らテーマが創出できない『ドクター・ストップ』状態の方が多いのも事実です.それは,博士課程のテーマを自ら苦労して確立したものではないからでしょう.テーマは,身の回りに有るというのは言い過ぎかもしれませんが,工学分野であれば,従来の技術がどういう物理に基づいているかの精査を行えば,その応用展開や類型への展開は可能であろうと思います.そういう,水平展開の研究は工学では常套手段です.オリジナルな研究テーマを探したければ,古典をくまなく勉強する事だと思います.古典的名著,論文はだれもが気がついていないいろいろな内容を蓄えています.新しい情報にのみ目を向けていると,肝心のことが見えなくなることはよくあります.落ち着いて古典から見直してみたいものです.そういう努力をせず,常に何か面白い事はないかと人のテーマばかり見て,その上前をさらっていくような研究者は,もっとも忌み嫌うべき存在です.現実には,そういう人が現れています.それは元々能力の無い人が,形だけを求めた結果の不幸です.

現在,大学でも社会でもオリジナルな研究を求めすぎています.オリジナリティとは何でしょうか? 社会基盤を変えるほどのオリジナルな研究は,どこから生まれるのでしょうか? 過去の研究の精査なくして,本当にオリジナルが何かわかるとは思えませんし,またオリジナリティの評価ができるとは思えません.その研究分野の本質的な研究成果をくまなく調べることは,研究者として必須の活動です.そして,古典的な研究が理解できた後,今は必要とされる内容に対してその仮定,結論の限界を見極めることが重要と思います.

自分の実験で,理論通りでなかったり,過去のデータとそぐわないケースに遭遇したとき,これにとにとことん執着していければ,必ずそこから新しいテーマが生まれます.ごくごく平凡な研究者である私自身も,そのような執着がこれまでの自分の多くの研究成果を生んだといえます.執着した内容を自ら理論的に検証し,計算し,実験で確認する.それが研究の基本です.確立した理論,結果を自らの手で再度基礎から洗い直すことは,学習と同時に新たな研究を生み出すことにつながります.時として,その際に伴う論文出版の苦労は自信を失わせますが,それが世の中の常識とすれば,間違いないく芽があると信じて行くだけの根拠を持てるのではないかと思います.

我々の研究姿勢

大学院での研究室の選択は,研究の指導者の選択に通じます.自らその考えに共鳴することができる,あるいはその考えに反論することで新しい分野を構築するに足る相手であるべきだと思います.居心地の良さを自らを引き下げる事の無い形で選んで下さい.私共は配属された学生に自分の手足を求めることはありません.基礎的な手法を学習した後は,かならず新しい概念を自ら探索し,検証することを求めます.これは共同研究者に足る資質を求め,よき研究のパートナーになって頂くためです.そして大学を卒業した社会人と同じ年齢である以上,義務と責務を守った態度を求めています.私どもの研究室は,この点を前提に選択をしていただきたいと思います.大学であれども社会で通用しない事を認めて良いはずはありません.

研究テーマ:非線形動力学の工学的応用

我々の研究テーマは Engineering Science であり,主として非線形動力学の解析と工学的応用です.その応用分野としてパワーエレクトロニクス関連分野,電力ネットワーク関連分野,ハイブリッドシステム論,電磁機械系,MEMS など多岐に展開しています,基本的には従来の工学システムの線形の枠組みを拡張して新しい電気工学の分野の開拓を目指しています.研究室ではほとんどの学生がその学生だけのテーマを扱います,すなわち,先輩の研究の延長にはなりません.卒論の結果が,数年前に論文になっていたと嘆くことがありますが,私は卒論が演習である以上,自力で数年前の学問水準まで来ることができた経験を喜ぶべきと考えます.

多くの学生の方には実験システムの開発,システムのモデル化から制御まで幅広い検討を求め,研究室外の先生方にも指導を求めています.研究室を選択される場合は,少なくとも非線形動力学への興味,制御の実験的展開,ナノ工学などへの興味などが望まれます.指導者の研究については,それぞれの論文リストから適当なものをダウンロードして読んでいただくことを希望します.そして,我々の研究のアプローチを理解いただければと思います.

我々の研究室に参加を希望する方(博士課程,PDも含めて),何をやっているか見てやろうという人は,いつでも連絡して下さい.


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Last-modified: 2020-09-04 (金) 16:47:34 (1495d)