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[[我々の研究室に興味を持つ皆さんへ]]

*意外に(?) 弱かったエネルギーシステム (2011.4.6 暫定版) [#bc2bdea9]
*システム論の前に (2011.4.24 暫定版) [#bc2bdea9]

>暫定版として仮掲載します.責任は自ら負います.
>暫定版として仮掲載します.内容に対する責任は自ら負います.

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ここでは 2011年3月11日の地震・津波による災害の規模やその被害を述べることが目的ではありません.
研究室への興味を持ってHPを訪ねた方に電気工学を専門とする者の理解を示し,今後の勉学の参考になればと考えています.

**状況把握 [#b9a0e2ad]
エネルギーシステムの分野にこれほどの研究者,企業,世界の注目が集まっている状況は,筆者の研究生活 (1980年代の大学での研究生活以後) の中で初めてでした.言い尽くされた様に,2008年のリーマンショック後の経済振興策としてアメリカのオバマ大統領のエネルギー政策にその端を発する.米国内の技術展開の提案,新しい成長分野への公共投資に多くの企業が集まりました.また欧州における環境意識と国策による環境ビジネスの高まりは,同じ方向を向いた公共投資を呼び込んでいます.これに合わせる様に,オイル資源国がその余剰資金が尽きないうちにエネルギー分野への投資を加速する状況も生まれ,世界の研究者が,言葉は悪いが猫も杓子も同じ方向を向いてしまった感がありました.そして,今回の東日本大震災が3月11日に発生しました.

ここでは今回の地震・津波による災害の規模やその被害を述べることが目的ではありません.まず,電気エネルギーシステムとして現在生じていることの理解を試みます.
昨今、意識の高い研究者、民間企業の開発が世界での研究の主導権を確保するためにスマートグリッドを中心とする研究開発の動きに敏感に,そして大きな方向性として対応していました.しかしながら日本の電力会社からなる業界は常に「日本の電力システムは既にスマートグリッドである」と主張し,「我が国のモデル」に価値があるとの認識を続けていたことをここで忘れてはなりません.ガラパゴスとしての特化と能力の一般性を混同し勘違いした認識ではなかったでしょうか.電気学会の大会,講演会を含め何度そのような発言を講演で聞き,新聞・雑誌で読んだか分かりません.特定の研究者グループの全国行脚の様な講演会,講習会があったことも新しい記憶にあります.それは本当であったか?この疑問に対して,当の講演者を含めて主張した研究者は,誰一人それに声明を出していません.特に学会で権威ある立場に有ったものとして、自ら精査し,率直に正しい研究の方向をを示すべきではないかと思います.また,電気学会も我が国で今回の一連の災害後の状況,引き続く原発事故による電力事情への対応に対して責任ある学会として,本来すべき説明や提案、さらには新しい方向性も出されていません.

東京電力の計画停電の話が出た頃,ある会議で某教授が「電力システムは意外に脆弱だったのですね」とおっしゃったことが記憶が残っています.博士課程の学生の頃,複数の同期発電機(電力システムの大多数の発電機)を連系(電力分野ではこの漢字を使う慣習があります)することを幾度となく繰り返して実験を行った経験から,こんな「ふにゃふにゃのシステム」の状態を維持することはそう簡単なものではない,ということを身体で覚えてしまいました.また,その発電機の状況は回転の音で分かる様にもなってしまいました.しかし,教科書等で学習するシステムは,「無限大母線」という容量が無限大,慣性が無限大の発電機があり,個々の発電機の特性はその無限大母線という基準をもった一自由度の系です.つまり,絶対的な支えのある系として学習しているのです.この系の個々の動作は機械入力と電気出力のつりあいによってまず考え(平衡状態),もし何かが原因でその釣り合いが外れても(脱調,トリップ),無限大母線はびくともせずに対象の発電機だけのダイナミクス(過渡状態)を見れば良いということになります.相手が剛であれば引っ張っても押しても手応えがあり,それに応じて手加減ができますが,相手が柔であるとき,どこまで引っ張って良いのか,このまま押して良いのか?自分の手応えからは決められないと言えばわかるでしょうか.それでも留まっている時はそれなりに釣り合ってバランスを取ることができます.
加えて言えば,当学会の感度の悪さは,3月11日の震災後に大阪で16日から開催される予定であった全国大会を前日の夕方まで中止を決められなかったことにあると思います.本来関係者が全力を挙げて現状の危機回避に走らなければならないときに,二次災害、三次災害の対応当事者である企業人を含め,大学人が現場を忘れて実害の無い机上の絵空事の議論に集まることが何の意味を持つのか?これに対する疑問,正当な判断が無かったのであろうか?などの疑問が浮かばざるを得ません.もちろん判断は開催する場所が大阪であったことによる面が多いと思います.それは,如何に震災のリアリティが西日本に無かったかによるのかもしれません.その間に、福島では原子力発電所が致命的な状況に陥って行ったのは誰しもが知る所です.まず,学会としてすべきは,全会員に全力をあげて,自らの間違いを率直に認めた上で震災対応へ知恵を出し合うことを求める声明を出すべきではなかったかと思います.震災・津波は天災でした.しかし,その後に起きたことは天災ではありません.その当事者のいる学会であるという意識があるのかという思いがあります.少なくとも現在の発電および送電状況のデータを開示して電力会社が停電でしか対応できない現状に対して,即応して広く議論をするなどの行動ができなければ,今後この学会は特に電力分野に対して何の意見も正当性が得られないも団体に成り下がるのではないかと思います.後付けで安全な状況になってから調査研究する,意見するというのは今の時点ですべきことではありません.一方で, 所詮業界に対してその程度の力しかなければ,学会というものが単なる御用学会と再度言われても仕方がないでしょう.学問が安全な世界の戯言であるということをみずから認めたとき, 現実社会への責任放棄をしたことになり,平和な時を除けば存在価値が無くなると思います.現状の電力の学問は現場の経験則と方法論であり,学問のための学問ではないのですから.

別の設定を考えます.テニスの練習の壁打ちを想像して下さい(こんな時不謹慎だと言う意見はあるでしょう.しかし人は身近な例でなければ理解は出来ません).壁打ちができるための練習を完璧に完了した後,相手を壁ではなく人間に替えたたとします.テニスをプレーしたことのある人なら,これまで練習して理解して来たボールの跳ね返り,回転,そしてこちらのポジションなどが練習通りに行かないということを経験した人は多いと思います.相手が人になったとたん,壁のような予想可能なものではなく,思わぬ所で打ち込んで来たり,思わぬ所でロブを打たれたりします.壁に対する自分の動きでは予想できないボールの動きとなります.どうすればこれらのボールを受け止め,そして打ち返す事ができるかというのがテニスというゲームの醍醐味だと言えます.スポーツはその不確実な駆け引きが面白さを生みます.そのようなボールの動きがわからないものが試合に出ても全く打つ事も出来ないことは容易に分かります.
我が国では電力分野の研究者は, 業界の主張に沿って電力供給側の立場で世界の電力システムの流れを見てきたと言えます.一方で,エネルギー問題に関して言えば通信分野や産業応用分野の研究者は,逆にユーザー側からの立場で研究を進めて来ています.しかしながら,業界の壁は大きいものです.電力業界は経産省,通信業界は総務省という縦割りの業界間の意識と権限は、所詮越える事は不可能というのが過去の歴史であります.これを越えることができるのでしょうか.今回の震災は日本のこれまでの社会の価値観,人の人生観を覆すものであったことは間違いありません.その中で、国費や権限の奪い合い後しか思えない動きも目につきます.それらに関係なくアカデミアが,震災復興の研究費確保に目のくらんだ会合を浅ましい下心を持って行うのではなく,純粋に正しい理念と方向性を正義を持って示さなければ、学問を生業とする人として存在価値がないのではないかと思います.表ではきれいごとを言っても,本質を知らない素人集団が暗躍する現状に対して,やはり学会を中心とする集団がきちんと対処する姿を示してほしいというのが私の強い気持ちです.

現実の電気エネルギーシステムの運用はゲームやスポーツではありません.打ち損ねは許されないのです.あらゆるケースを想定して,その答えを持っていなければいけない・・・それがシステム設計の基本です.2011年3月11日以降の東京電力と東北電力において,原子力発電所という無限大母線に準じる規模の大きな慣性を持つ発電機が,そのシステムから乖離してしまいました.一見,スケールダウンしたら済むと思われるかもしれませんが,根本的に供給と需要の釣り合いを数字の足し算引き算で維持しても,物理的な特性までは維持できるということにはなりません.システムの等価的な慣性はちょっとした変化でそれを維持できないほどほど小さく,また供給容量も小さい状況になってしまいました.
先日、某新聞の知己の記者に今回の電力関連の問題に対するこれまでの記事の問題を問いただした所,電力システムの安定性に対する認識は盲点であったといった返答がありました.これは,単に専門家と称する業界の主張をそのまま受け入れて来たに過ぎず,新聞も公衆を間違って誘導する大きな力には逆らえなかったということであり,それにあらがうことは難しいのでしょう.

まず,述べないといけないのは,地震直後にシステム全体が安全装置や機器の不具合で離脱する発電機や線路の切り替えに対応して,負荷に電力を送電できる状態を維持したことは,先に身近な例として上げたテニスの例から見ても,何百というプレーヤーが同時に思いがけない玉を打って来た中でよく凌いだという状況です.一時的にプレーを続ける事を維持した現場は大した技量があり,良くシステムが働いたと言って良いと思います.
しかし,問題はそのあとにやって来ました.原子力発電所が回復不能な状況に陥り,多くの火力発電所が停止から復帰できない状態になってしまいました.
さて,我々が何をすることができるか,これから少しずつ考えて行きたいと思っています.

被災していない負荷であった都市部の生活の復帰は早く,すぐに災害から平常に戻ろうとする動きを取りました.交通機関の安全が確認され,人が活動を始めどんどん電力の要求が出て来ることになります.利用する個人個人は理性を持っていても,物理法則が決めるシステムの振る舞いは,暴力的と言える程弱ったシステムには過酷です.いやおうなくシステム維持のため供給義務(プレーを続けること)を要求します.これが同時同量の宿命を持った電気回路の物理です.この結果,負荷を放棄して電気機械系のバランスを維持することが選択せざるを得なくなりました.すなわち,停電という状況を意図的に作り出さざるを得なくなったのです.これは,元のシステムおよびネットワークでは電力供給を維持できないということを供給側が認め,義務を放棄したことを意味します.
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これまで,事故時の過渡状態でも運転継続できることを主たる目的として開発されてきた発電機,システムの制御系は,立派に働いたと言えると上に述べました.これは発電機の運動方程式が成立する範囲においてです.今ある問題は,運動方程式ではなく代数方程式の世界です.負荷が要求する電力と発電可能な電力の量が見合わない.要するに,システムの構成が成立しないのです.これは,システムやネットワークが弱いというのではなく,大容量の電源が消失するという中で,個々の負荷を供給側は制御する方法を持っていないために,そのやり取りを開始する事も出来ないということになってしまいました.
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なぜそのようなことになったかという根本はなんでしょうか? これは,科学でも工学でもないというのが私の意見です.代数方程式は,その量の代数計算が即電力会社の収入に絡むものであり,いかに安くバランスを取り,いかにそれを維持する経費を下げるかが利益につながります.そのような経営の中で,それらの積み上げた量が一挙に消える状況というものを想像だにしなかったということでしょうか.利益率を上げるために予備電力さえもフルに準備していない.これが実態ではないでしょうか? 今の企業の収益を上げる体制は今会社に居る彼らが築いたものではありません.これまでに何十年とトラブル無く積み上げて来た信用が築いたものであり,それを失った今求める収益が無いというのは当然のことです.自ら信用をリスクに置き換えて削りながら収益を上げて来たといったら分かりやすいと思います.

意外に?弱かった電力ネットワーク というのは正しい理解ではありません,バックアップや安全を見越した多重のシステム設計を,別の理由,主にはお金の問題でしていなかったということに過ぎないと思います.今しきりに報道されている大停電は,システムが不安定なのではありません.電力システムは意識しないで良い程単純明快なシステムとしては最適化され平和な状態では非常に良い収益の上がるビジネスモデルでした.単に原料単価とコストだけを監視していれば良いのです.でもそれは物理ではありません.これを空気で考えれば,あなたは今から1時間空気が来ませんが我慢して下さいと言えるでしょうか? 自らその供給義務を放棄したシステムは,現状で当たり前の様に人に利用を命ずる権利はないと言えないでしょうか? 自らの存在である義務を放棄するという現状において,何を維持するために行っているのかを既に見失ってしまっているように思います.

**電力ネットワークの歴史的発展 [#af3217bb]

ここでは,電力事業の発展の歴史に基づき,その中から学べるものを書き出して行くつもりです.


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