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2015年1月1日版 (暫定)

 過去10年近く新年にメッセージを書き続けてきた.最初の2年分のメッセージはもう読めなくなっているが,毎年研究室の新たな参加者,特に新たな参加を希望するものの悩んでいる人に,知ってもらいたいこととして記載してきた.その中で世の中の状況への警鐘をならしたこともある.それが数年後に露わになったケースもあり,些か書く内容に躊躇することもある.しかしながら,この研究室を運営する主催者がどのような考えを持って,研究室の構成員,学生,あるいは社会に対して主張しているかを知ってもうらうことは,最も重要だと認識している.読まれる方もそのように認識して読んでいただきたい.

1.研究テーマはどうやって決まるのか?

 世の中には研究テーマの流行り廃りがある.また流行を追いかけることが正しいという世の中の風潮もある.流行りのテーマとは,時代的に重要なテーマ,論文誌や学会で多くの発表がなされているテーマ,研究費が潤沢に供給されている分野,新聞・テレビ・ネットというマスコミがしきりに持ち上げる分野,というものであろう.正直言って,私自身が流行りのテーマを選んだ経験はなく,どちらかというと人が敬遠して来たもので,流行りとはとても言えないテーマばかりに手を染めてきたと言える.であるから,流行のテーマに今から参加するぞと言って挑んだことが一度もないため,そのように集まる気持ちが本当の意味では分かっていない.

 どの研究者も,自らが経験してきた研究の指導,指導者,あるいは環境の影響を強く受けている.分野に関係なく大学の研究室の指導者にまでなった者は特にその傾向が強い.つまり意識して自らを変えなければ,その体験の範囲でしか指導ができない傾向が強い.そのことを多くの学生の方に理解させることは,私の研究導入教育の第一歩である,従って,私が受けた指導の一旦を知らしめることは一つのパターンを示すことでもある.

 私自身が自分の研究テーマの決め方あるいは進め方を見直し,本当の意味で分析的に指導を受けたのは米国に滞在した時である.在外研究に行く前に京大を修了後別の大学の教員であった私は,研究費や共同研究者に恵まれていたとはとても言えない.しかし考える時間はあり,それまでの自分の学習,環境,研究経験から自分にとって最適な受け入れ先を選ぶ際,本当に今後どういう分野の基礎的な勉強が自分に取り組めるものだろうかと言う点に限られていたと思う.決して,テーマを先に決めたわけではない.自分には似つかわしくないが,当時関与していた学会でのパワーバランスで政治的に決めた第一希望の行き先からは断られ,ある意味好都合でもあった.(当時は電子メールはなく,エアメールの手紙で受け入れをお願いし,その行き来に早くて2週間掛かった時代であることを考慮してほしい.その間の心の葛藤は半端ではないが,逆に人の思考に合致した時間スケールだったと思う.)結果的にその選択が,研究テーマの見出し方,決め方について初めて身につける機会を与え,研究者としての行き方を授かるに至った.

 昨年,在外研究先であった米国 Cornell Univ.のスーパーバイザー,Prof. Francis C. Moon の75歳のお祝いのスペシャルセッションがミシガン州ランシングのMSUであり,そこにお呼び頂いた.私が彼の研究室に所属したのは1993-94年で,米国はまだ不況にあった.クリントンが大統領で,ヒラリーが保険プログラムの提案でCornellで演説したことも記憶にある.(先日,UCLAに行った時もそのタイミングに出くわしたのは因縁かもしれない.)日本もバブル景気が崩壊した直後であった.日本からの滞在者の多くは,バブル期に日本を出て,その気分の抜けない人が多数居た.さて,同時期に同研究室の所属した仲間,あるいはその実験装置や研究室のログでのみ名前を見た研究者,そしてその後訪問した時に所属していた研究者,だれもが恰もすでにお互いを知っているような感覚になっていたのは面白いことであった.それは,同じものの考え方を共有できる研究者であるからと言える.あのときこうだったとか,あるいは何年後はこんなだったという言葉は,思い出話ではなく確認作業あった.私がProf. Moon の研究室,すなわちCornell Univ., Sibley School of Engineering, Mechanical and Aerospace Engrg.(MAE) と Theoretical and Applied Mechanics (TAM) に客員として所属したことが,私のこの後の研究人生のすべてを決めたと言って過言ではない.

 まず,学んだことは誰も研究を手取り足とりして教えてはくれないということである.特に客員,ポスドクは一人前の研究者として来る.だからこそ,自らの手法でデータを出して初めて議論が始まる.武器は自分の経験,知恵,そしてその場にある測定器具,あるいは使える計算器のみである.実験系のポスドクは1週間経っても机に座って論文を読んでいるようでは1ヶ月後には首と言われる.まさにその通りで,他に居るポスドクやドクターとは装置の取り合いとなる.実験装置が使われていない状況で空いていたら,それは他の人に使用される.また,技官も雇用関係から,ボスが指示しなければ決して助けの手を出さない.こういうビジネスライクな世界で本当に結果を出すことの大変さは経験しなければ分からない.先輩風を吹かして,そこにあるものは何でも使えると勘違いしている日本の研究室の博士課程の学生では,結局手も足も出ない.またテーマなど,どこにも転がっていない.しかし悪いことばかりではない.自ら最初の目標を設定し,最初の1週間を実験装置の使い方の確認と初期データの取得,2週間目にデータの再現性の確認,その間にボスとの議論をこなして,これまでに研究室で得られたことのないデータを取得し始めると,途端に環境が一変する.まず,実験装置の占有をみんなが認め始め,使うときは使い方を習いに来る.そして,1ヶ月後にはボスがこの論文の結果は本当かを確認してくれと相談に来る.最後は,ボスの講義のTAとしてのサポートや,アウトリーチへのサポートの指示が来る.突然やってきた海とも山とも分からないアジアの研究者に,だれが最初から重要なテーマを与え,そのためにテーマが何ヶ月も,何年も塩漬けになることを望むだろうか? 明らかに,テーマは自らポテンシャルを示した時に初めて他の研究者との共振関係で生まれてくるものなのである.私の滞在の後には,電磁気学が専門であったこのボスと関連分野で論文を書き,さらにそれを非線形力学との絡みで実験を進めたものは誰も居なかった.彼のその年に書き下ろされた著書の中で,その時の最新のデータを使ってもらえたことは私の研究者としてのあり方を決めた.そのことを,先に述べたお祝いの会での私の講演の後,彼がわざわざマイクを取ってコメントをくれた程である.

 研究のテーマは,あらかじめ予定されているものではない.たとえ準備されていても,それを受け入れる学生,研究者が自ら資質を示さなければ,テーマとしては成立しない.自らのテーマを自らの考えで進めたいのであれば,研究室の主催者として手助けするが,その時に研究室の環境や研究者から学ぶものがなければ,一緒にいる必要なない.その意味では新たな道を早く選ぶことを進めたい.人は,他から学ぶことをやめた時成長を止めてしまうからである.このように,テーマはそのアイデアを持つ者と,知識を持つ者,そして相互がプラスに触発する環境が相互に関係して初めてテーマとして世の中ない現れると考えている.収奪の構造などそこに有るはずもない. (本人がポテンシャルを示さなければ,テーマは単なる念仏にすぎない.それを持って就職の面接に行ったところで何の役にも立たず,逆に選んだ研究が間違いだったとまで言い出すことは少なくない.)

2.学生の方に知っておいて欲しい基本的なことのいくつか

 やってはいけないこと:学生は研究室に所属することで多くのテーマに触れる.しかし,それらを誰もが研究対象とできるわけではなく,またして良いわけではない.オープンサイエンスが仲間内で実現されているため,学習する機会は全員にある.しかし,能力のあるものしか研究とすることはできないという当たり前のことを知らねばならない.自分がやったこともない結果を自分のものと公言し,本当の発見者を駆逐したり,論文の成果を奪ったりする剽窃と呼ばれる行為は,何も最近だけのことではない.この不正は,研究を志す者が絶対に踏んではいけない轍であり,それを踏んだ時点で研究者生命は終わり,同じ場と時間に研究者として存在できないことを最初に知っておいてほしい.

 研究の必然性:研究を育てるには,研究者によるコミュニティが存在し,研究が高いレベルになるまで育つことを周りが見守る環境が不可欠である.荒削りのアイデア/データが論文になるまでは暗黙の約束がある.それは,だれもがそのサイエンスの萌芽には手を出してはいけないということである.その萌芽をサポートできるのは,本当に萌芽を自ら関与した人だけである.人が提示した課題ばかりを追いかけている人は,すぐにそのテーマに口や手を出す.それが許されないのが研究室であり,コミュニティである.そのコミュニティは同じ価値観を共有することができる研究者の集団であるからこそ,人の成長も同時に共有する.そこに一人でも価値観を異とし,そのプライオリティを無視して先に結論を出そうというと人が混ざりこむと混乱を生じる.その人が,思考過程から同じ結果に至る必然性がないにもかかわらず突然現れるのである.すなわち,研究には必ずその必然性がある.必然性の無いひらめきなどは無い! 

 世の中に住む常識という悪魔:口では多くの研究者が常識破れを求める.(常識破れの行動を取るということではない.)しかし,学会で多くの権威と言われている人が,常識的に…という自らが宇宙の法則の権化であるかのような攻撃がある.研究者として確立した者であれば,「あ,またか」と聞き流せるが,初学者には非常に対応が難しいものである.「効率」「有用性」も工学を主張する場合同様の攻撃となる.口癖のように宣う方々もおられる.工学は非常識のアイデアの蓄積であることを忘れてはいけない.つなり,自然に従うことが常識ならば,人工の技術は非常識となる.現代では,人工の環境も自然に含まれている.従って,当然常識の限界はさらに遠くまで進んでいる.そういう常識の言葉を攻撃の手法に用いた議論の流儀を研究室に持ち込まないで欲しい.質問の仕方を学ぶ事は,研究を共同で進めるためには不可欠である.

 モデルありきの研究の否定:これはモデルの必然性を問うことである.先輩の研究,あるいは他の研究者の研究成果から導かれたモデル,それを検証もなく使うことはすべきではない.工学の世界でもモデルを表すのは式,あるいはアルゴリズムとなる.まず,それらが必要となる研究を導いた研究に敬意を示すべきである.その上でそのモデルを使うことの必然性を示すことが,最初に導いた研究者の業績への尊重となる.それもなしに,文献で示された式が何の脈絡もなく成立すると仮定する所から始める研究など止めたほうが良い.

 ディスカッション機会の確保:学生の生態として夜型になることが多い.しかし,研究指導者とディスカッションをしたければ,自分の時間軸を人に押し付けることはやめるべきである.大学は通常の時間軸で動いており,研究室も,研究も同様である.研究室に宿泊して研究することは一見真面目な姿に見えるが,夜に研究室にとどまる事は,人間的トラブルや帰宅途中のトラブル,実験のトラブルを招きやすいことは明らかである.研究室は寮ではない.生じ得る危険を少しでも避けるためには,研究室に所属した時点で生活を改めるべきである.その上でディスカッションの時間を指導者に求めてもらいたい.また,研究会での発表担当の直前だけつじつま合わせのような議論を求めることは邪道である.それでは何の意味もない.研究を進めたいのか,研究発表の指導を受けたいのか,よく考えて欲しい.ディスカッションでは自らの思考とデータを示し,それに対する自分の見解をぶつけて議論をする,あるいはモデルの物理的意味を議論する,あるいは定理/証明の妥当性を議論するなどいろいろある. そのために結果をいきなりぶつけるというのは議論の道筋としては正しくない.考えてみてほしい.研究室には20近くのテーマが同時に進行し,指導者も自らのテーマを走らし,講義,業務,社会貢献などの作業に時間を取られている.議論を深めなければ時間の無駄になる.それをお互いに理解して進めなければならないのではないだろうか?

 上手くいかなかったデータの重要性:これも言い古されたことである.研究では表に出ないデータが最も重要である.しかし分かっていない人は非常に多い.昨今実験ノートを取ることがマスコミなどで面白可笑しく書かれるが,今に始まった事ではない.しかし,頭の中にしかないデータ,思考,書き出せない理論も意味がない.科学は記述されたものだけで再現され,検証されねばならないからだ.真贋を自らがあらゆる角度で検証したかを自分で示せることは,実験科学だけでなく理論においても不可欠な作業である.その記録がないことなどありえない.理論にもその限界がある.自ら暗黙においている仮定を自分で書き出し,その仮定を一つ一つ確認していく作業は,理論を扱うものが一般化を述べるなら日常的な作業と考えるべきである.

3.生の人の連鎖をつなぐことは研究者の仕事

 FB で人がつながり,友達の友達がすでに自分の別の友達の友達となっていることは多い.それは世界が狭いからにすぎない.その範囲でしか自分が活動していないからである.研究者の間にも ResearchGate とか LinkedIn といったソーシャルネットワークがある.その上で論文をやりとりすることは容易になっている.その多くはオープン化による持つものから持たない者への一方的な論文の供給であって,本当の意味で研究の相互のやりとりには使われているとは言い難い.

 在外研究の時,私がいた部屋は Prof. Philip Holmesの部屋の真ん前であった.知る人は少ないかもしれないが,Cornell Univ. に行った理由の一つに,彼が在籍していたことがある.いつも在室中はオープンにドアを開けている彼は,目があうと挨拶していた.しかし,本当に研究の議論をする機会はずいぶん後になる.私の実験データの現象の説明がこれまで用いられていたモデルでは無理ということが明らかになったことが切欠となった.Prof. Moon との立ち話の後に,Phil に意見を聞こうと彼が言い,フットワーク良くお向かいに呼びに行くことになった.幸いにも彼は在室しており,直ぐやってきて,いきなり話を聞いて,一言,そのモデルでは無理だね と.それからは,彼のサジェッションを受けて カリフォルニア地震のモデルでも使われたモデル記述を導入し,物理常数を確認しながら適用した.この過程の詳細は述べないが,非常に楽しい時間であった.その Prof. Holmes はその後Princetonに異動した.後年 Princeton へも訪問し,何度もいろいろな場面で協力を仰いで来た.研究室に所属する若い研究者が在外研究先を選ぶ切欠も元を正せばここに遡る. (その後,Phil はその著作で私が学生の時に計算した結果に基づいて著書の図を描いたことを知ることになる.それは,博士課程の指導者の指示によって行ったものである.その根本のプログラムは当時の先輩が基本部分を作成されていた.)

 Cornell の TAM は昨年廃止となった.そこに集まった,あるいはいた人は拠り所を失ったが,その関係は今でも繋がっている.昨年12月にインドで開催された学会に招待された.その招待は同じく Cornellに在籍した Prof. Rudra Pratap による.またそこでは,同じく Cornell から呼ばれた Prof. Parpiaとの出会いもあり,そこから新しい研究へのつながりも始まっている.彼はまた我々の別の研究テーマの共同研究者との友人でもある.このような生きた人間関係がなければネットで繋がっても共同研究は進まない.なぜならば,そこには一目でわかる人の性格や個性の合う合わないの判断が感性というフィルターを通して検証されるからである.また,この学会では Rudra の学生がたくさん質問に現れ,研究の方向性や日本への留学などへの質問を受けた.これは次の交流への始まりでもある.在外を終えて帰国する私に,Prof. Moon は「次は君がCornellで学んだことに基づいて,アジアの国の若い人に研究への道をつけなければならない.」と言われた.それは私の義務でもある.

 身近な国内の学会の場,在外研究を中心とした人的交流,国際会議のセッション設定の交流,留学生の受け入れ,それらを通じて人のグローバルな交流を作り上げることが研究室を主催するものとして不可欠な資質である.そしてそれは,自らが研究の中継者であることを理解して,個人に留めず,次へ継承していかねばならない.人から人へ,時間と空間を超えて,考え方,共同作業,そしてテーマを情報としてではなく営みとして繋いでいくことが,科学技術の研究のあるべき姿である.

4.新たなアプローチへのチャレンジを

 研究が出来上がったと思う時,それを崩す勇気がない研究者は,研究者をやめたと言える.自らの成果は常に次の世代の踏み台になるものである.どんな成果も次の成果への通過点にすぎないからこそ,新たな取り組みが必要になる.場合によっては自分の結果を否定することも大切なアプローチである.そのためには,複数路線で研究を進めることをより教育過程で指導すべきである.博士課程に進学する学生には常にそのように求めてきたが,残念ながら現在の目の前のアプローチを進めることが精一杯という姿を見続けて来た.自ら複数の研究のアプローチを構築できないため,他の未完成なテーマに軽い気持ちで手を出し,手を出しただけで食い散らして去っていく.残るのはストーリーも深みもない結果だけである.自分の能力のなさが研究の場を乱すという事実を冷静に見つめなければならない.

 パラダイムシフトを求める産業界があるが,パラダイムのシフトの意味が全くわかっていないのではないかと思うことがある.同じ分野で足掻けば何か降ってわいたようにパラダイムシフトが生まれるような議論があるが,そんなことは無い.果たして現在の多くの企業軍は,パラダイムシフトを自社内で本当に求めているのだろうか? 効率を求めた時,パラダイムシフトほど効率の悪い技術革新は無い.それは総合企業が衰退した部門を補う新しい分野の創造を求める活動では,ほとんど受け入れられない.企業の毀誉褒貶は自社内のパラダイムシフトではなく,新しく立ち上がった企業が既存の企業とのシビアな競争関係でか生まれていないのではないか.研究も同様であるということが言える.ある企業の講演で,こんなことを聞かれたことがある,「今日講義で新しい技術を聞いたが,そんなことを会社でして良いのでしょうか?」.企業人が公務員化した時に至るゴールは見える.

 理系では論文誌が電子ジャーナル化されて,大きく図書館の環境も,研究のスタイルも変わった.研究の多くの時間が,文献調査や読書,それに基づく思索から,データベースのキーワード検索にシフトしている.そのため,時定数が非常に短くなっている.大手出版社はその大学のデータから,この分野が貴大学には欠けていますよ…と余計な御世話で手を出しつつある.それをグローバル化や世界ランキングという評価指標で脅かしてくる.研究には適した場所がある.評価が高い大学で受けた教育が保証するものは何か,そこまで出版社は保証していない.当然,ランクの高い企業への就職と収入であり,日本がこれまでに経験してきた大学と企業の関係以上に何があるのか? まるで予備校の偏差値の議論を,大学院生,研究者に持ち込んだだけである.偏差値を上げるために高めの学生を受験させたり,あるいは同じ学生にたくさんの大学を受けさしたり,あの手この手で受け入れる側も,出す側も数値を上げる.同じことが生じている.

 自社として研究に投資せず成果だけを利用することで味を占めてしまった企業軍は,コンセプト,デザイン,品質,そしてマーケッティングを管理するだけの組織になりつつある.どの技術が使えるかを一早く見出し,人より先にローカルに取り入れ,一挙にグローバル化し,その先見ダッシュで市場を抑える.その繰り返しになっている.その一方で,電化製品の技術や構造のパラダイムシフトを実現し市場に送り出す企業も出現している.それらのせめぎあいは,そのまま大学の今後の姿かもしれない.あまり想像したくはないが.

 私が学生の頃,京大電気系の非線形分野には,原理主義,現象論,手法論のアプローチがあると言われていた.それらの二つは一つの研究グループから分かれたアプローチであり,他の一つはその外から持ち込まれたものである.少なくとも私が学んだものは現象の物理/数理的理解のアプローチであったが,学生の時そこから離れてデザインを志向した.その結果学位の遠い道を歩んだ経験がある.在外の時代に学んだものは,現象のモデル化と物理原則,そしてその工学的応用への意識であった.そしてその後,物理現象の原理に基づく制御も含めたシステムのシンセシスに向かった.その過程で私はアナリシスの方法論を目的とする手法論には手を出していない.なぜなら,現象の解釈を解析の方法論で示することはできないと考えるからである.今,世の中はアナリシスではなくシンセシスの時代であることを意識しおいて欲しい.私は決して過去の成果を軽視しているのではない.それらを理解した上で,さらに新たな止揚を求めるアプローチは,結局学生の頃にすでに求め始めたものであり,それをいろいろな経験から肉付けしたものである.それが唯一,この場所で研究を続けていけている理由であろうと思う.私に比べて遥かに聡明で,遥かに計算機の能力に長け,遥かに実験の技術を持つ方々を見てきている.今なら言えるが,後進に科学技術を伝えていく中継者として,かつ新たな学問の創生を求められる大学教員の資質としては,そういった能力だけでは不十分なのである.

5.おわりに

 流れに竿を差すことはいつの時代も無駄なエネルギーを要する.これから研究に加わる学生の方には,研究の本質を維持するためには,まず学ぶべき考え方と態度をきちんと理解してもらいたい.そして,学生である時間を大切に自らの能力を高めるために費やしてもらいたい.その手助けができる場が研究室である.その時に,何らかの手がかりにするのは,研究室の指導者であり,先輩であり,共同研究者であろう.その場が先にどのようにつながっているかをきちんと見極めてもらいたい.

謝辞:

現在はお世話になった全ての方々のおかげである.改めて謝意を表したい.特に,昨年他界された平根善久先生(関西大学)は,私が博士課程を単位取得退学したあと,大学という場で研究者への修行を続けるチャンスをくださった方と言える.様々な状況は有ったが,その機会を与えてくださったことで今があることはまぎれもない事実である.その一点において深く御礼申し上げたい.また私の指導者を通じてそのポストへ導いてくださった,故 桑原道義先生 にも改めて感謝の気持ちを表したい.その繋がりがなぜあったかは,今はもう私しか記憶していない事実であろう.

研究は,それぞれの人同士の会合があって初めて芽生え,意味を持ち,世の中に現れ,そして人を通してサポートされるものであることを,改めてかみしめている.


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Last-modified: 2020-09-04 (金) 16:47:32 (1323d)