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*意外に(?) 弱かったエネルギーシステム [#yeb739a0]

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東京電力の計画停電の話が出た頃,ある会議で某教授が「電力システムは意外に脆弱だったのですね」とおっしゃったことが記憶が残っています.問題点がシステム自身にあるのか,それとも人に有るのか,それらを全て含めてか・・・いずれにせよ契約者の誰に取っても電力システムであり得なくなったということは非常に重い結果でした.([[電気事業法:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S39/S39HO170.html]] 第18条1項 参照)

教科書等で学習するシステムは,「無限大母線」という容量が無限大,慣性が無限大の発電機があり,個々の発電機の特性はその無限大母線という基準をもった一自由度の系です.つまり,絶対的な基準点と支えのある系として学習しています.この系の個々の動作は機械入力と電気出力のつりあいによってまず考え(平衡状態),もし何かが原因でその釣り合いが外れても(脱調,トリップ),無限大母線はびくともせずに対象の発電機だけのダイナミクス(過渡状態)を見れば良いということになります.相手が剛であれば引っ張っても押しても手応えがあり,それに応じて手加減ができますが,相手が柔であるとき,どこまで引っ張って良いのか,このまま押して良いのか?自分の手応えからは決められないと言えばわかるでしょうか.それでも留まっている時はそれなりに釣り合ってバランスを取ることができます.学生の頃,複数の同期発電機(電力システムの大多数の発電機)を連系(電力分野ではこの漢字を使う慣習があります)することを幾度となく繰り返して実験を行った経験から,こんな「ふにゃふにゃのシステム」の状態を維持することはそう簡単なものではない,ということを身を持ってしりました.その通りなのです.

さて,東日本大震災の直後の過渡状態でも発電機,システムの制御系は,立派に働いたと言えます.これは発電機の運動方程式が維持されたと言えます.電力システムが維持できなくなったのは,その前提となる負荷が要求する電力と発電可能な電力の量が乖離して解が無くなったためです.要するに,システムの前提が成立しないため,送電を切るしか送電の関係を構築できないということになります.これは,大容量の電源が消失するという中で,個々の負荷を供給側は制御する方法を持っていないために,そのやり取りを動的に開始する事が出来ないという結果に,電力会社として初めて直面したと言えます.供給能力が無くなった結果,もしそこで運転を継続したら生き残った発電機は脱調し,同期して電力を送るとが出来ないため,全システムを停止状態にするしか無くなるということを避けねばならないと考えたとき,停電を要求しなくてはならなくなってしまいました.

発電機から見た負荷に優劣や尊卑はありません.送電線路の向こう側にある見えない負荷のために,一様に可能な限り電力を送るのが電力会社の義務であり性です.それが技術者として電力会社に居る人の真面目な姿です.しかし,そのエネルギー単位の力学とその制御が,人,円,時間という経営の単位になることは民間会社としては致し方有りません.しかしその収益率を上げるためのシステムのスリム化が力学としてのシステムを脆弱なものにしたということであったら,「意外に・・・」というのではなく「起こるべくして起きた・・・」という表現にならざるを得ません.

電力システムは,設定した条件において想定される外乱が加わっても,入出力間の平衡を保ち,漸近的に安定になるように設計されてきました.我が国の電力システムが,震災の前までは安定したスマートなシステムだと言われて来ました.それが崩壊するとはだれも思っていなかったのでしょう.それは前提条件が失われないという限りにおいてである事を,我が国の一般の方が恐らく初めて知ることになりました.電力は,発電電力の余裕を持って,バックアップのルートを維持してシステムを維持しなければ送電できる状況を維持できない.ポテンシャルの高い方から低い方へ移動する電力が,遠方にある巨大発電所の大きな慣性を持った発電機の高いポテンシャルから運ばれなければならないという必然性は,物理ではなく,事業としての論理であるということを気づいた今,それを維持する事は今はあり得ても将来も許されるのかという問いに,我々はどう応えていくことができるのでしょうか?

電力システムは人の生命の維持に不可欠なシステムとなっています.水,空気,そして電力です.衣食住と安全を維持するために今は電力が無ければならないにもかかわらず,システムとしての安定性を安全性という観点で補強してこなかったことが,脆弱なシステムにつながったと考えられます.水の供給系も同様です.いずれ,電力が無ければ空気を維持できない状況がくるでしょう.そのときのためにも,今考えなければならない大きな課題です.最悪を避けるシナリオの確認,起こりえないという思いとは別に可能な対策を準備し,それでも対応できないことが生じる可能性とリスクを評価することが,我々が唯一できる技術的アプローチである事を,真面目に考えなければならない.

今,「安心・安全」を担保する事が役人の口癖になっています.「安心」は人の気持ち,「安全」は客観的な事実として同一視しないことが重要だと思います.(公的な会見で「ご心配をおかけして申し訳ありません」という表現が最近よく使われます.相手を思って言うのではなく自分のことに使っている場面が多く有ります.意識の倒錯があるように思います.)

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