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*メッセージ                        from PI (引原隆士) [#sc378ae9]

 毎年年末年始にこのページを書き換えて,早くも14年目になります.本ページは,主として京都大学の3回生で研究室配属を検討する人を中心にメッセージを送って来ています.学外の方は,研究室の指導者のものの考え方を確認するためにご利用下さい.ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.
***総計(Total) (Since 2010: Start (2020.1.1) from 22262):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]

他のサイトへの無断掲載はご遠慮下さい.
*1. はじめに [#z4cdfcb9]

***総計(Total) (Since 2010: Start (2018) from 15700):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]
研究室を主催して以来,年初に私が考えていることをHPに記載して,これから研究室に所属される方,現在所属される方にメッセージを発して来ました.しかし,今年を最後にすることにしました.研究室の運営は,新しい人の参加,現在所属する方の送り出しという,一年を一周期とする形を取っています.これ自体が新しい研究テーマの開始から完成という流れに従ったものでした.しかしながら.研究室の学生の方の大勢が博士課程の指導を中心にシフトし,学部生の方へのアプローチが研究室の主な動きではなくなり、実態から離れてしまいました.学生の方々のSNSでの発信に触れるにつけ,その脊髄反射の様な応答,リアルの精神的な変化に触れて,記載が何も伝えていないことを,最近確認したこともその理由です.

* 2018年1月1日版 [#sd080c7e]
次の20年を託すこれから研究を始められる皆さんに,今私が考えていることを記して終わりたいと思います.

*2.研究者のイメージ [#tdcafcc6]

1. はじめに
殆どの研究の初期において,過去の研究成果を丁寧に勉強することは,その研究の端緒から成果までを再発見する過程,あるいは再定義する過程として非常に重要です.指導者として見せ方は違っても同じテーマを何度も何度も再検討して来ました.それは,あたかも山のガイドの方が何度も何度も同じ途を繰り返し登り,間違いないかを確認しながらまた降りていくことの繰り返しのようなものでした.一方で,新しい道の可能性は,日常の繰り返しの中ではなかなか見いだせません.

 ここ数年連日,海外から我々の研究室の研究生になりたい,留学したいと思いを綴ったであろうメールを頂いている.今はとても個々の希望に沿える状況ではありません.自分が学生のころ,ドクターを終えた頃,留学を希望して手紙を送り,思いを伝えることに一生懸命であったころを思いだします.その一文一文にどれだけ思いが込められているかは,いくら自国語で無くても伝わるものだと信じています.残念ながら,今頂くメールの多くは,例文のコピペで,ひどい場合は宛名や大学名も間違っていることがあります.少し安易すぎませんか? ほとんどこちらの専門すら確認しておらず,果ては「おまえの分野は私の分野と合致している」とあります.笑うしかありません.これでは思いは伝わらないのは当然です.あまりにも見ず知らずの者へのコンタクトが簡単になりすぎている現状は,ほとんど当たるも八卦当たらずも八卦という状況です.その中で,これまで数人の人と一緒に研究ができ,その選択にほとんど間違いが無かったことに奇跡的な感があります.それは研究者の嗅覚に依ると考えています.
自分にまだ登る能力が足りないと思えば,再び繰り返す愚直な真面目さと素直さが必要なとなります.能力は人により異なります.理論,実験技術.,計算技術といった研究の装備も,人により異なります.研究はそれを自ら掴み取ることが目的なのですが,十分な能力ができても,肝心のモチベーションを失い登ることに魅力を感じない状況に陥ってしまうこともあります.まずは,頭が,手が,身体が自然に動くまで,繰り返すことが大切なことです.

 2001 年に研究室が独立して以来,実際に研究室で受け入れた学生数は,留学生も含めて,卒研生が約5名×16年+2, 修士課程学生が約4名×16名×15年,博士課程学生が20名に上ります.重なりもありますが,合計で100名以上を研究室から送りして来たことになります.この時点で,これまで PI として何を目指して来たかを振り返り,あるいは今一度確認し,これからの研究時間をどこに向けていくかを明確にしておくことが重要と考えています.
学問ではそれをパラダイムと呼びます.パラダイムは,多くの他の考えを自らのものとし,そのなかで出来上がる多くの理論や発見を包含する学理の場です.パラダイムを完成する過程で,大学のカリキュラムが生まれ,学科ができ,そして学会や論文誌が生まれます.それを学ぶために皆さんは大学に来たのです.だからまず,一つの学理を登り切る体力と方向感覚,そして登ったら確実に降りてくる冷静さを,自然にこなせるようにしなければならないのです.その練習の場が大学です.時々ある学会の発表や論文の作成は,その実践の場であり,学生への教育もその体現です.

 研究室の選択は,皆さんが科学,工学において考え方の手がかりを得て,足がかりにして社会に出て行く場を得ることです.そして,提供された環境を元に,自らの論理や思考を確立していく機会です.そのことに少しでも役立てばと思い,以下に考えを記します.
あたかも,日本の「○○道」を極めるというイメージと重なるため,高貴で崇高な考えに思えます.このようなイメージで育っているのが今のシニアです.そのことを理解しておいて下さい.人は,自分が学んだようにしか人に伝えることはできません.皆さんの主張で変わることはありません.

2.今何が起きているのか?
しかしながら,これだけでは今の科学の進展の中で,歩みをすすめることはできません.これが言いたいことです.

 ノーベル賞を受賞された大隅先生が日刊工業新聞のインタビュー:https://newswitch.jp/p/11497 で述べられている中に,次の言葉があります.
*3.研究の変化 [#vf139388]

「若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。自分の軸を持てないと研究者が客観指標に依存することになる。だが論文数などで新しい研究を評価できる訳ではない」
何年も前に多くの研究者が挑んでも目的を果たせなかった課題で,その時点での研究の報告(論文)があります.そこに新たに手法を導入し積み上げた結果,新しい価値を見出した課題があります.現代的手法,たとえば,GPS で方角の不安を無くし,常に携帯で安全を担保し,そして不安な時はドローンで確認して動くといった方法で,確実な途をつけ,人が繰り返した結果誰にでも見えるようになり,地図にも載って来ます.それが新しい方法につながります.

「例えば一流とされる科学雑誌もつづまる所、週刊誌の一つだ。センセーショナルな記事を好み、結果として間違った論文も多く掲載される。彼らにとって我々がオートファジーやその関連遺伝子『ATG』のメカニズムを研究していることは当たり前だ。その機構を一つ一つ解明するよりも、ATGが他の生命現象に関与していたり、ATGの関与しないオートファジーがあるという研究の方が驚きをもって紹介される。研究者にとってインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまえばそれはもう科学ではないだろう」
果たして今では,過去とまったく違う,データに基づく手法が生まれています.知識のないものが新しい手法で道に迷わない技術が生み出されているのです.この様な単一学理に基づく研究過程を離れて,異なる概念から全く新しい価値が生み出されることをパラダイム・シフトと呼んでいます.研究分野の創生と同じく価値のある仕事がこれです.新しい価値観に導く学理,より一般化したあるいはシステム化した体系を生み出して次元を上げていくような営みとなります.それが皆さんがめざすべきことです.

 「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する。日本の研究者は日々忙しく異分野の論文を読み込む余裕を失っている面もある。だが異分野の研究を評価する能力が低くては、他の研究を追い掛けることはできても、新しい分野を拓いていけるだろうか。研究者は科学全体を見渡す能力を培わないとダメになる」
どうやってパラダイムシフトを作り出すか.それこそが日本の研究者が直面している状況です.過去に一つの道を作り出した欧米の後を丁寧に踏破し,その中の可能性から大きく膨らませて領域拡大をオリジナリティな技術で作り出し,その技術も共に示して,売って来ました.そして論文数や市場を人が気がつく前に占領することができたと言えます.その後にできた確実な道は,誰もが歩める道になっていました.そこに職人的な感や修行はもう意味をなさないことは明らかです.

 Nature, Science は News Paper であり,その研究内容の評価をしているのではないと出版社が自ら言っています.そして研究者が気がついていても,そこでちやほやされたいという人間の心理を巧みに利用して操作されています.本来科学とはそんな低レベルの営みではありません,お為ごかしで他の価値観を排除しています.ここで言われている基礎分野は京都大学では多くの工学分野にも当てはまります.底の浅い応用の手法だけを進めても,その先には何もありません.すぐに次に何をやりましょう?と人に答えを求めるだけです.それは大学でやることではありません.大学の研究室では,単純に企業活動に資する基礎科学,社会の営利活動にすぐ寄与する単純な既存技術の改良や適用技術ではないことを学んでほしいと思います.
もちろん,職人的仕事には求道的な価値があります.しかしそれは万人向けのものではなく,技術を養い育てる環境が有ってのもので,時を急ぐ中で非効率なものとなってしまいます.同じものを,短期で作り上げる技術があればそちらが世の中に変化を生み出すことはもはや明らかです.この価値は時間と広がりなのです.同じことが研究にも生じているのです. 

 基礎科学は本質的に人類の環境と生存に関わる世界への疑問への追求であり,元々は中世以降は社会の富を集めた為政者が永遠の繁栄を求めて未来の社会に還元するために,富のフローを維持できる価値を世の中に作りだそうと求めて推進したものです.高度経済成長期の日本がそれを知らずに科学技術只乗り論に抗して細々と種をまいて来ましたが,不況期にはその芽を使い果たし,土壌の肥料も底をついてしまいました.ゆとりのある時代に,国内の研究者を無視して,海外の大学には研究費を出すが,日本の大学には労働力を提供してくれればよいと豪語した企業群などは,今は見る影もありません.それらの企業が数々の問題を引き起こしていることはよくご存じだと思います.企業活動としてもう限界が来ていることを未だに理解していません.ゲームは既に変わってしまっているのです.その反省と自覚が無いままに大学にデータを出せ,研究者が応用を進めよと言っても何の説得力も無いといえます.TSPKといった会社だけでなく,すでに世界の企業の世代交代は進んでしまっています,そのスピードはとてつもなく早いものです.過去の業態は長期にわたる不況下で消えしまったとも言えます.その中で,基礎研究が役に立たないと言う発言はどうみても自分に富の貫流が無いう悲鳴以外の何物でもありません.富の流れがこれまでの舟では竿させないほど急流になり,そこにはじかれてしまっている現状を,冷静に見ることもできない姿を見るに,サラリーマン経営者の限界を見ます.フォローアップしたらなんとかなるという道はもう間違っていることはわかっているのに.どこかに例を探し.二番煎じで自分が上にいる間は持ちこたえようとする姿は,官僚以上に官僚化しています.
このような変化は,研究をめぐる実世界データの扱いのデジタル化に伴い徐々に進んできました.同じ測定機であればどこでだれが測定しても同じ結果を出す.それこそが科学の再現性の具現化でした.その動きが一挙に高まったのは,技術の汎用化,研究手法の標準化で,蓄積データの量が臨界点を超えたからです.すでに遺伝子工学系では,同一のシーケンサを用いたデータベースに基づき,完全ドライな実験を伴わないインパクトのある論文が出始めています.他の分野はどうでしょうか? 3Dプリンタで応力計算を済ませながら印刷して,衛星打ち上げのロケットの製造までが可能になっています.まさにそういう段階にほとんどの分野が直面しているのです.この動きがこれまでの物理世界を再定義することになるのではないかと考えられます.

 今役に立つ科学,技術など底の浅い芸にすぎません.そんなものを求める企業は本来どこにもありません? 彼らは,いくら役に立っても自分たちだけが儲からなければ実行しないし,かりに役に立っても自分たちでどうにもならなければ,他が使わないために死蔵する.世の中を変えようとか,新しい未来を作ろうとか,そういう野性味のある姿は無いのです,つまり知識,データ,研究成果がほしいのではなく,ほかを儲からせないために手伝ってほしいだけというのが多くの本音です.
この中で先に述べた研究の再確認や訓練は非常に非効率となってしまったことが,容易に想像できます.

 世の中がデータサイエンスに走っているからと言って,盲目的に AI としてもてはやされる手法に流れていくことは適切ではないことはだれでもわかります.データの意味を解さずに処理すれば何か出てくる.それが正しい(基準が必要)という意味で,採用に至るかどうかを,だれが決めるのか.神社のおみくじに未来を託すような感覚で「AIが決める」とか言うのでしょうか.データが不完全(データとはそういうものである)であれば,そこには解はありません.そのことを第一に考える議論が必要です.対象の中にあるデータのみで外に生じることを論理的に議論することはできません.世の中にあるのはビッグデータではなく,リトルデータとノーデータであって,その間を論理無くつなぐことをAIに任せてみて,そこで利益がでれば真理として採用するのでしょうか? それが科学とは言えないと言うと,勉強しろとお叱りを受けるかもしれません.
*3.研究の手法と方向性 [#uf4adcb3]

3.正しいこととは
電気電子工学科の学生は,現代の電気電子工学のパラダイムを形成する理論を学習し,実験で確かめ,そして研究室ではシミュレーションで確認する.というプロセスを取ってきました.それを繰り返すことの可否を再度問わねばなりません.理論と実験,実験とシミュレーション,そして理論とシミュレーションのいずれかが一致しなければ論文にならないとこれまで学生の指導では基本的に述べてきました.しかし第4の手法として,すべてのパラメータに対して絨毯爆撃的に検討をすることが残されていました.これから起こり得ることは,この最後の手法がまず最初に行う検討になるのです.それだけの計算資源やデータが蓄積されはじめているからです.その上で,新たな軸への価値を探索するシンセシスを考えていいくことが求められるのです.これは誰が計算しても同じ結果が得られ,同じ実験データが得られるという段階に来ているからです.

 公器と呼ばれた新聞,雑誌,放送はもう自らの優越性を論じる地位に無く,ネットに場を譲っています.公器での発言をネットに落としても,その価値は一ブログの記述と何の違いも無い.すなわち,キュレーションされたものと言っても,内部の都合なのです.それを読者は知ってしまったのです.同じことが科学論文の現状にも当てはまります.ハゲタカ論文誌というお金さえ出せば載る論文誌の論文と,専門家の査読と議論に耐えて載せた論文との差は,ネット上では全くわかりません.フェークかどうかは,興味を持たれた時に明らかになります.それまでは,彼らに取っては重要な数字を生み出す作品なのです.見つからなければ良いということがまかり通るようになったことが,世間の研究者,技術者,論文への視線が厳しくなった原因です.その点に尽きます.研究者に取って今重要な数字とはインパクトファクターであって,インプレッションを持たれたものが力を持つ世界です.全くお笑いの世界と変わりません.考えてみれば,情報を得る側は元々興味があわけですから,理解すれば信じてしまう傾向にあります.あえて自らの論理を否定はしません.それがほとんど今の状況では無いでしょうか.逆手に取ってその操作をしている者が,研究の世界でもメジャーになれるということは容易に想像できます.
データ科学という手法を単純に礼賛しているわけではありません.最終的必要なことは,サイバーとフィジカルのインターフェースです.それをシームレスにつなぐことはある精度以上では無理です.そのことが今の技術の限界でもあります.それでも,これまで全く関係付けられなかった分野が繋がり,相互の矛盾が多くの課題にもなります.これが,今求められ,統合化した新しい学理への一歩になる可能性が高いと言えます.

 数年前に国際会議で韓国の研究者により,「Googleは神か?」という講演がありました.さすがに受け狙いではありましたが.過去の大統領選において,Google のアクセスの時間経過,世論調査の状況,得票の状況などの関連性が示された.時変のデータにより結果が外挿できるとの判断であったと理解しています.従来のように選挙期間の公共放送の情報と異なり,韓国の投票行動は既に独立事象では無く,神(Google)の手の内にあるというものであったと.しかし,それは神ではありません.そういう感覚自身が非常に危ないと言えます. 
これまで電気電子工学の学生は,まさにそのことだけを学んできたと言えます.今一度,自分が学習したことを再発見してみられることをおすすめします.決してサイバーだけ,フィジカルだけでここまで来たわけではないのです.他の学科のカリキュラムを見ればよくわかります.分野を横断して電気電子工学科が展開する,エネルギー,通信,生体系,デバイス,光,そして宇宙全てにおいて当てはまっているでしょう.そして,将来的には誰もが何も意識せずに,サイバーからフィジカルを,フィジカルからサイバーを使えるようにしていくことが,大きな目標となります.単に一方だけが必要などいう狭量な考えに陥らないことが重要です.

 研究室では,研究テーマを学生の方の希望とその時々の研究室の体制,状況に応じて決めます.その時に多くの学生が最初に取る行動は,Google 検索です.それが正しいとも正しくないとも言えません.しかし,その後の検索結果は当然ながら異なって来ます.学生が検索した結果と,指導者が検索した結果は大きく異なります.つまりその後の勉強する内容が異なってくるのです.何のために研究室で顔を合わせて研究をするのか? そのことを見誤っています.キーワード検索で勉強ができるのであれば,大学など不要です.独自に Web で勉強し,提示された課題の結果を出すことは可能です.重要なことは,その結果が価値を持つか否かを判断できるかどうかです.それができるようになることが,研究の本質的な活動です.自分で当てなく時間をかけるよりも,その訓練を直接受けた方が早いのです.思い込み,妄信,そして独善では何も保証されません.ある仮定を設定して,そして結果を導く.それを「やってみました」研究と呼びます.結果をどうやって正しいと確認するかという作業が欠如しています.現時点ではそう言えます.取り敢えず……学生さんが好きな言葉ですが.
*4.おわりに [#i3cc3d5a]

 どこにも真の正解は無いとき,得られた結果が正しいかどうかを判断できる能力,あるいは自分では判断できないことを認識する能力,それが研究の最初に学ぶことです.
ここに一つのモデル式,あるいは物理現象,デバイスがあります.そこからあなたの研究生活が始まります.自分が卓越していることを主張するために人がやっていないことを探すのではなく,この式あるいは現象,デバイスに対して,どんな価値を作り出そうかということをまず思い描いて見て下さい.その価値が今までにないことであれば進めれば良い.同じ価値ならその価値を見出している手法を精査し,そこに至る手法にこの式あるいは現象,デバイスからたどりつけるかどうかを考えてみて下さい.

4.研究結果を残すこと
私個人は一つの微分方程式の理解から研究を始めました.その後携わった研究は,実験も,設計したデバイス,システム,ネットワークもすべてそこに由来します.これは一つのモデル式が,非常に広い世界を包含していたからだと思います.その式が非線形偏微分方程式でした.物理,力学,情報がつなぎ生み出す豊かな世界は,計算機が加わっても,生物が加わっても,エネルギーや化学反応に広げても,確率が加わっても,学理として理解し展開が可能でした.それらを包含するパラダイムは閉じてはおらず,非常に豊かで耕しきない開いた領域を持っていました.そこに新たなサイバーな世界が加わり,より広大になりつつあります.

 研究は正しい手段,論理,論証で結果が得られれば一歩進,結果に伴う条件付けでデータが固まります.必ずどのような設定で得られた結果であるかが示されなければなりません.その上でデータが正しいかどうかという判断を行います.測定データは,変位でも電圧であったり,そのA/D変換して量子化した数値であり,生データを扱うことはありません.データは必ず元の物理量に戻せます.その物理量を支配する法則,関係を想定して正しいかどうかを判断します.一方,測定できなかった条件も残さなければなりません.一つのデータにはそのデータを用いて得られる特性の限界を示すことが求められます.そういったデータの扱いは,大学入学からずっと訓練された作業です.その基本を守っていることは,共通の議論のベースで,共通言語フォーマットと言えます.
皆さんが足元から遠くに目を向け,楽観的に挑まれることを期待します.

 しかしながら,論文の査読をしていると,少しずつ論理をすり替えたチェーン引用をして,結局どこにもその根拠が見いだせない論文があります.また,途中でデータが変更されていて元をたどれないものがあります.これらは意図的で無ければできない作業です.性善説ではもはややっていけないほど研究者の世界が純粋で無く,普通の世の中の人と人の関係と同じく多くの問題があります.そういう人たちが生きる世界と我々が生きる世界は別とは考えられません.だからこそ,何が正しいかを見いだせなければならないのです.
ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.
他のサイトへの無断掲載はご遠慮下さい.

 論文には後の人が同じ轍にはまらないように穴を埋めるものと,何も無いところに線路を引くものがあります.いずれも重要な仕事で相補的です.それを地道に続けることができるのが科学の底力です.その上に大きな世界が広がる可能性があるからです.誰もが19世紀の技術をゼロからたどらなくて済んでいることの幸せを考えるべきです.

 トップデータを追い求めることは京都大学では常に求められます.しかし,その分野は誰が作ってくれたのでしょうか? 自分で分野を創出した人は走り続ければよいのは当然です.しかし,既にある分野から始める若い人がその恩恵に預かってトップデータのおこぼれに預かっても,それは元々引かれた道にいるだけです.大隅先生はそのことを書かれています.つまり,新しい分野を作れずに作業者になるような研究指導を受けるべきでは無いということです.また,新しいことが何かを知るためには,従来の研究の限界を自ら確認しなければなりません.それなくして,どうして新しいと言うことがわかるか? それはひとえに,研究者の幅広い知識と自らのテーマへの深い洞察によるものなのです.
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 我々が残さねばならないのは,他者がその後に引き続いて研究を進めることができる研究分野と領域です.それが人類が面々と繋げてきた知恵であり,世の中から付託された研究者がやらねばならないことなのです.


5.おわりに


 若い頃に先々まで見越した計画性をもって行動することは希です.先への不安,希望,そして野望が頭を埋めますが,それを振り払って自らの道筋を描ける人は,既に若いと言えないかもしれません.多くの場合に,高校生の頃に考えていた課題が身近になったとたんに,そのゴールが遠ざかることを知ります.ゴールと信じていたことが,ある限られた範囲のものに過ぎないことを知ります.これまでゴールを越えることを訓練として繰り返すうちに,目的化してしまっている人が多くいます.そのゴールもだんだん手前に持ってきてしまっているようです.自分が見えるゴールを目的にしてしまったからです.永遠のゴールは絶対的目標とするゴールです.それを自分の能力で見ることができるようにすることが本当に必要なことです.問題がわかったらゴールはわかります.

 研究室は檻ではありません.自分で時間を作り,機会を得て垣根を超えて勉強や研究ができなければ先はありません.研究室は入り口に過ぎないことをもう一度確認し,どこから入り,誰の誘導を最初のステップとするかが大切です.その後は指導者との共同作業をしなければ研究の一歩は踏めません.私の指導教授は,我々学生を放牧されました.その結果帰ってこない人もいたし,いつまでも寝床の周りにいた人もいました.他舎と行き来した者もいました.たくましく育った者だけが,それぞれの世界で生き残っています.そして,それは指導者のコピーとしてではありません.同じ研究者は二人と必要ないからです.

6.追伸


 長尾真元総長が同窓会の講演会で後輩を前に次のように述べられています.「新しいテーマに取り掛かるときに,すべての論文を3 ヶ月で読破し,1 年経って論文が書けなければ勉強不足,3 年経って国内トップにならなければ努力不足,10 年経って世界一流にならねば能力不足」と.これがこの世界の有り様であって.そのことを心してほしいと思います..





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** 過去の記載内容 [#p46576f3]
-2019年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2019]]
-2018年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2018]]
-2017年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2017]]
-2016年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2016]]
-2015年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2015]]
-2014年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2014]]
-2013年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2013]]
-2012年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2012]]
-東日本大地震後の関連メッセージは[[こちら :http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?message2011-2]]
-2011年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2011]]
-2010年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2010]]
-2009年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2009]]
-2008年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2008]]
-2007年第3版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-3]]
-2007年第2版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-2]]
-2007年当初版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007]]
-2006年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2006]]
-2005年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2005]]
-2004年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2004]]


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