[[FrontPage]]

*メッセージ                        from PI (引原隆士) [#sc378ae9]

 毎年年末年始にこのページを書き換えて,早くも14年目になります.本ページは,主として京都大学の3回生で研究室配属を検討する人を中心にメッセージを送って来ています.学外の方は,研究室の指導者のものの考え方を確認するためにご利用下さい.ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.

他のサイトへの無断掲載はご遠慮下さい.

***総計(Total) (Since 2010: Start (2017) from 13503):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]
***総計(Total) (Since 2010: Start (2018) from 15700):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]

* 2018年1月1日版 [#sd080c7e]

Coming Soon.

1. はじめに

 ここ数年連日,海外から我々の研究室の研究生になりたい,留学したいと思いを綴ったであろうメールを頂いている.今はとても個々の希望に沿える状況ではありません.自分が学生のころ,ドクターを終えた頃,留学を希望して手紙を送り,思いを伝えることに一生懸命であったころを思いだします.その一文一文にどれだけ思いが込められているかは,いくら自国語で無くても伝わるものだと信じています.残念ながら,今頂くメールの多くは,例文のコピペで,ひどい場合は宛名や大学名も間違っていることがあります.少し安易すぎませんか? ほとんどこちらの専門すら確認しておらず,果ては「おまえの分野は私の分野と合致している」とあります.笑うしかありません.これでは思いは伝わらないのは当然です.あまりにも見ず知らずの者へのコンタクトが簡単になりすぎている現状は,ほとんど当たるも八卦当たらずも八卦という状況です.その中で,これまで数人の人と一緒に研究ができ,その選択にほとんど間違いが無かったことに奇跡的な感があります.それは研究者の嗅覚に依ると考えています.

 2001 年に研究室が独立して以来,実際に研究室で受け入れた学生数は,留学生も含めて,卒業生が約5名×16年+2, 修士課程学生が約4名×16名×15年,博士課程学生が20名に上ります.重なりもありますが,合計で100名以上を研究室から送りして来たことになります.この時点で,これまで PI として何を目指して来たかを振り返り,あるいは今一度確認し,これからの研究時間をどこに向けていくかを明確にしておくことが重要と考えています.

 研究室の選択は,皆さんが科学,工学において考え方の手がかりを得て,足がかりにして社会に出て行く場を得ることです.そして,提供された環境を元に,自らの論理や思考を確立していく機会です.そのことに少しでも役立てばと思い,以下に考えを記します.

2.今何が起きているのか?

 ノーベル賞を受賞された大隅先生が日刊工業新聞のインタビュー:https://newswitch.jp/p/11497 で述べられている中に,次の言葉があります.

「若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。自分の軸を持てないと研究者が客観指標に依存することになる。だが論文数などで新しい研究を評価できる訳ではない」

「例えば一流とされる科学雑誌もつづまる所、週刊誌の一つだ。センセーショナルな記事を好み、結果として間違った論文も多く掲載される。彼らにとって我々がオートファジーやその関連遺伝子『ATG』のメカニズムを研究していることは当たり前だ。その機構を一つ一つ解明するよりも、ATGが他の生命現象に関与していたり、ATGの関与しないオートファジーがあるという研究の方が驚きをもって紹介される。研究者にとってインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまえばそれはもう科学ではないだろう」

 「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する。日本の研究者は日々忙しく異分野の論文を読み込む余裕を失っている面もある。だが異分野の研究を評価する能力が低くては、他の研究を追い掛けることはできても、新しい分野を拓いていけるだろうか。研究者は科学全体を見渡す能力を培わないとダメになる」

 Nature, Science は News Paper であり,その研究内容の評価をしているのではないと出版社が自ら言っています.そして研究者が気がついていても,そこでちやほやされたいという人間の心理を巧みに利用して操作されています.本来科学とはそんな低レベルの営みではありません,お為ごかしで他の価値観を排除しています.ここで言われている基礎分野は京都大学では多くの工学分野にも当てはまります.底の浅い応用の手法だけを進めても,その先には何もありません.すぐに次に何をやりましょう?と人に答えを求めるだけです.それは大学でやることではありません.大学の研究室では,単純に企業活動に資する基礎科学,社会の営利活動にすぐ寄与する単純な既存技術の改良や適用技術ではないことを学んでほしいと思います.

 基礎科学は本質的に人類の環境と生存に関わる世界への疑問への追求であり,元々は中世以降は社会の富を集めた為政者(者)が永遠の繁栄を求めて未来の社会に還元するために,富のフローを維持できる価値を世の中に作りだそうと求めて推進したものです.高度経済成長期の日本がそれを知らずに科学技術只乗り論に抗して細々と種をまいて来ましたが,不況期にはその芽を使い果たし,土壌の肥料も底をついてしまいました.ゆとりのある時代に,国内の研究者を無視して,海外の大学には研究費を出すが,日本の大学には労働力を提供してくれればよいと豪語した企業群などは,今は見る影もありません.それらの企業が数々の問題を引き起こしていることはよくご存じだと思います.企業活動としてもう限界が来ていることを未だに理解していません.ゲームは既に変わってしまっているのです.その反省と自覚が無いままに大学にデータを出せ,研究者が応用を進めよと言っても何の説得力も無いといえます.TSPKといった会社だけでなく,すでに世界の企業の世代交代は進んでしまっています,そのスピードはとてつもなく早いものです.過去の業態は長期にわたる不況下で消えしまったとも言えます.その中で,基礎研究が役に立たないと言う発言はどうみても自分に富の貫流が無いう悲鳴以外の何物でもありません.富の流れがこれまでの舟では竿させないほど急流になり,そこにはじかれてしまっている現状を,冷静に見ることもできない姿を見るに,サラリーマン経営者の限界を見ます.フォローアップしたらなんとかなるという道はもう間違っていることはわかっているのに.どこかに例を探し.二番煎じで自分が上にいる間は持ちこたえようとする姿は,官僚以上に官僚化しています.

 今役に立つ科学,技術など底の浅い芸にすぎません.そんなものを求める企業は本来どこにもありません? 彼らは,いくら役に立っても自分たちだけが儲からなければ実行しないし,かりに役に立っても自分たちでどうにもならなければ,他が使わないために死蔵する.世の中を変えようとか,新しい未来を作ろうとか,そういう野性味のある姿は無いのです,つまり知識,データ,研究成果がほしいのではなく,ほかを儲からせないために手伝ってほしいだけというのが多くの本音です.

 世の中がデータサイエンスに走っているからと言って,盲目的に AI としてもてはやされる手法に流れていくことは適切ではないことはだれでもわかります.データの意味を解さずに処理すれば何か出てくる.それが正しい(基準が必要)という意味で,採用に至るかどうかを,だれが決めるのか.神社のおみくじに未来を託すような感覚で「AIが決める」とか言うのでしょうか.データが不完全(データとはそういうものである)であれば,そこには解はありません.そのことを第一に考える議論が必要である.対象の中にあるデータで,外に生じることを論理的に議論することはできません.世の中にあるのはビッグデータではなく,リトルデータとノーデータであって,その間を論理無しにつなぐことをAIに任せてみて,そこで利益がでれば真理として採用するのでしょうか? それが科学とは言えないと言うと,勉強しろとお叱りを受けるかもしれません.

3.正しいこととは

 公器と呼ばれた新聞,雑誌,放送はもう自らの優越性を論じる地位に無く,ネットに場を譲っています.公器での発言をネットに落としても,その価値は一ブログの記述と何の違いも無い.すなわち,キュレーションされたものと言っても,内部の都合なのです.それを読者は知ってしまったのです.同じことが科学論文の現状にも当てはまります.ハゲタカ論文誌というお金さえ出せば載る論文誌の論文と,専門家の査読と議論に耐えて載せた論文との差は,ネット上では全くわかりません.フェークかどうかは,興味を持たれた時に明らかになります.それまでは,彼らに取っては重要な数字を生み出す作品なのです.見つからなければ良いということがまかり通るようになったことが,世間の研究者,技術者,論文への視線が厳しくなった原因です.底に尽きます.研究者に取って今重要な数字とはインパクトファクターであって,インプレッションを持たれたものが力を持つ世界です.全くお笑いの世界と変わりません.考えてみれば,情報を得る側は元々興味があわけですから,理解すれば信じてしまう傾向にあります.あえて自らの論理を否定はしません.それがほとんど今の状況では無いでしょうか.逆手に取ってその操作をしている者が,研究の世界でもメジャーになれるということは容易に想像できます.

 数年前に国際会議で韓国の研究者により,「Googleは神か?」という講演がありました.さすがに受け狙いではありましたが.過去の大統領選において,Google のアクセスの時間経過,世論調査の状況,得票の状況などの関連性が示された.時変のデータにより結果が外挿できるとの判断であったと理解しています.従来のように選挙期間の公共放送の情報と異なり,韓国の投票行動は既に独立事象では無く,神(Google)の手の内にあるというものであったと.しかし,それは神ではありません.そういう感覚自身が非常に危ないと言えます. 

 研究室では,研究テーマを学生の方の希望とその時々の研究室の体制,状況に応じて決めます.その時に多くの学生が最初に取る行動は,Google 検索です.それが正しいとも正しくないとも言えません.しかし,その後の検索結果は当然ながら異なって来ます.学生が検索した結果と,指導者が検索した結果は大きく異なります.つまりその後の勉強する内容が異なってくるのです.何のために研究室で顔を合わせて研究をするのか? そのことを見誤っています.キーワード検索で勉強ができるのであれば,大学など不要です.独自に Web で勉強し,提示された課題の結果を出すことは可能です.重要なことは,その結果が価値を持つか否かを判断できるかどうかである.それができるようになることが,研究の本質的な活動である.自分で時間をかけるよりも,その訓練を直接受けた方が早いのです.思い込み,妄信,そして独善では何も保証されません.ある仮定を設定して,そして結果を導く.それは「やってみました」研究です.それをどうやって正しいと確認するかという作業が欠如しています.現時点ではそう言えます.

 どこにも真の正解は無いとき,得られた結果が正しいかどうかを判断できる能力,あるいは自分では判断できないことを認識する能力,それが研究の最初に学ぶことです.

4.研究結果を残すこと

 研究は正しい手段,論理,論証で結果が得られれば一歩進む.結果に伴う条件付けでデータが固まります.必ずどのような設定で得られた結果であるかが示されなければなりません.その上でデータが正しいかどうかという判断を行います.測定データは,変位でも電圧であったり,そのA/D変換して量子化した数値であり,生データを扱うことはありません.データは必ず元の物理量に戻せる.その物理量を支配する法則,関係を想定して正しいかどうかを判断します.一方,測定できなかった条件も残さなければなりません.一つのデータにはそのデータを用いて得られる特性の限界を示すことが求められます.そういったデータの扱いは,大学入学からずっと訓練された作業です.その基本を守っていることは,共通の議論のベースです.これは共通言語と言えます.

 しかしながら,論文の査読をしていると,少しずつ論理をすり替えたチェーン引用をして,結局どこにもその根拠が見いだせない論文があります.また,途中でデータが変更されていて元をたどれないものがあります.これらは意図的で無ければできない作業です.性善説ではもはややっていけないほど研究者の世界が純粋で無く,普通の世の中の人と人の関係と同じく多くの問題があります.そういう人たちが生きる世界と我々が生きる世界は別とは考えられません.だからこそ,何が正しいかを見いだせなければならないのです.

 論文には後の人が同じ轍にはまらないように穴を埋めるものと,何も無いところに線路を引いたものがあります.いずれも重要な仕事で相補的です.それを地道に続けることができるのが科学の底力です.その上に大きな世界が広がる可能性があるからです.誰もが19世紀の技術をゼロからたどらなくて済んでいることの幸せを考えるべきです.

 トップデータを追い求めることは京都大学では常に求められます.しかし,その分野は誰が作ってくれたのでしょうか? 自分で分野を創出した人は走り続ければよいのは当然です.しかし,既にある分野から始める若い人がその恩恵に預かってトップデータのおこぼれに預かっても,それは元々引かれた道にいるだけです.大隅先生はそのことを書かれています.つまり,新しい分野を作れずに作業者になるような研究指導を受けるべきでは無いということです.また,新しいことが何かを知るためには,従来の研究の限界を自ら確認しなければなりません.それなくして,どうして新しいと言うことがわかるか? それはひとえに,研究者の幅広い知識と自らのテーマへの深い洞察によるものなのです.

 我々が残さねばならないのは,他者がその後に引き続いて研究を進めることができる研究分野と領域です.それが人類が面々と繋げてきた知恵であり,研究者がやらねばならないことなのです.


5.おわりに


 若い頃に先々まで見越した計画性をもって行動することは希です.先への不安,希望,そして野望が頭を埋めますが,それを振り払って自らの道筋を描ける人は,既に若いと言えないかもしれません.多くの場合に,高校生の頃に考えていた課題が身近になったとたんに,そのゴールが遠ざかることを知ります.ゴールと信じていたことが,ある限られた範囲のものに過ぎないことを知ります.これまでゴールを越えることを訓練として繰り返すうちに,目的化してしまっている人が多くいます.そのゴールもだんだん手前に持ってきてしまっている.それは自分が見えるゴールを目的にしてしまったからです.永遠のゴールは今でも目標とするゴールです.それを自分の能力で見ることができるようにすることが本当に必要なことです.問題がわかったらゴールはわかります.それが値悪には無いことも.

 研究室は檻ではありません.自分で時間を作り,機会を得て垣根を超えて勉強や研究ができなければ先はありません.研究室は入り口に過ぎないことをもう一度確認し,どこから入り,誰の誘導を最初のステップとするかが大切です.その後は指導者との共同作業をしなければ研究の一歩は踏めません.私の指導教授は,我々学生を放牧されました.その結果帰ってこない人もいたし,いつまでも寝床の周りにいた人もいました.他舎と行き来した者もいました.たくましく育った者だけが,それぞれの世界で生き残っています.そして,それは指導者のコピーとしてではありません.同じ研究者は二人と必要ないからです.

6.追伸


 長尾真元総長が同窓会の講演会で後輩を前に次のように述べられています.「新しいテーマに取り掛かるときに,すべての論文を3 ヶ月で読破し,1 年経って論文が書けなければ勉強不足,3 年経って国内トップにならなければ努力不足,10 年経って世界一流にならねば能力不足」と.これがこの世界の有り様であって.そのことを心してほしいと思います..





#ref(photo2018.jpg,center)


** 過去の記載内容 [#p46576f3]
-2017年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2017]]
-2016年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2016]]
-2015年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2015]]
-2014年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2014]]
-2013年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2013]]
-2012年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2012]]
-東日本大地震後の関連メッセージは[[こちら :http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?message2011-2]]
-2011年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2011]]
-2010年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2010]]
-2009年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2009]]
-2008年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2008]]
-2007年第3版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-3]]
-2007年第2版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-2]]
-2007年当初版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007]]
-2006年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2006]]
-2005年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2005]]
-2004年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2004]]


トップ   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS