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*メッセージ                        from PI (引原隆士) [#sc378ae9]

 毎年年末年始にこのページを書き換えて,早くも13年目になります.本ページは,主として京都大学の3回生で研究室配属を検討する人を中心にメッセージを送って来ています.学外の方は,研究室の指導者のものの考え方を見る参考程度にご利用下さい.ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.
***総計(Total) (Since 2010: Start (2020.1.1) from 22262):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]

他のサイトへの無断掲載はご遠慮下さい.
*1. はじめに [#z4cdfcb9]

***総計(Total) (since 2010.12.30):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]
研究室を主催して以来,年初に私が考えていることをHPに記載して,これから研究室に所属される方,現在所属される方にメッセージを発して来ました.しかし,今年を最後にすることにしました.研究室の運営は,新しい人の参加,現在所属する方の送り出しという,一年を一周期とする形を取っています.これ自体が新しい研究テーマの開始から完成という流れに従ったものでした.しかしながら.研究室の学生の方の大勢が博士課程の指導を中心にシフトし,学部生の方へのアプローチが研究室の主な動きではなくなり、実態から離れてしまいました.学生の方々のSNSでの発信に触れるにつけ,その脊髄反射の様な応答,リアルの精神的な変化に触れて,記載が何も伝えていないことを,最近確認したこともその理由です.

* 2016年1月1日版 (暫定版) [#b24b5da2]
次の20年を託すこれから研究を始められる皆さんに,今私が考えていることを記して終わりたいと思います.

 今年度も,研究室紹介,研究室選択,配属の時期がやってきました.本学の電気電子工学科が今の研究室配属の制度になったのは2003年度からです.この間の学生気質の変化,教員の入れ替わり,そして世の中の要請から,予定調和のように同じ方式が維持されています.京都大学工学部の大きな学科で,電気電子工学科は唯一コース制を敷いていない学科です.だから,修士までの6年間の教育期間で研究室選択・配属が折り返し点として大きな意味を持ちます.博士課程に進学を考えている人は,この一年を掛けて折り返し点を加速して通過することになります.以下,これまでの経験から伝えたいことなどをまとめています.新しい4回生には初めてのメッセージなので,参考になれば幸いです.
*2.研究者のイメージ [#tdcafcc6]

**1.目の色 [#h26ddf9f]
殆どの研究の初期において,過去の研究成果を丁寧に勉強することは,その研究の端緒から成果までを再発見する過程,あるいは再定義する過程として非常に重要です.指導者として見せ方は違っても同じテーマを何度も何度も再検討して来ました.それは,あたかも山のガイドの方が何度も何度も同じ途を繰り返し登り,間違いないかを確認しながらまた降りていくことの繰り返しのようなものでした.一方で,新しい道の可能性は,日常の繰り返しの中ではなかなか見いだせません.

 気持ちが前向きな人の目は,本当にきらきらしています.なぜなんでしょうか.集中すると瞬きが少なくなり,目が潤んで,しかも顔を対象にまっすぐに向けています.そういう人たちの目がこちらを見つめている場に立つと,思わず怯んでしまいます.一方で,疑って掛かっている場面,興味を持っていないとき,顔が正面を向くことも無く,目も伏し目がちによそを見たり,あるいは目が合った瞬間に反らせる.本当に気持ちのありようがそのままに見えます.
自分にまだ登る能力が足りないと思えば,再び繰り返す愚直な真面目さと素直さが必要なとなります.能力は人により異なります.理論,実験技術.,計算技術といった研究の装備も,人により異なります.研究はそれを自ら掴み取ることが目的なのですが,十分な能力ができても,肝心のモチベーションを失い登ることに魅力を感じない状況に陥ってしまうこともあります.まずは,頭が,手が,身体が自然に動くまで,繰り返すことが大切なことです.

 新入生,講義の初日の学生,研究室配属直後の学生,講演会で前に座った参加者,この人達の目は,自らの思考や有り様を反省させてくれるトリガになります.自分が,慣れてしまって,それぞれを個人として対応していないのではないかという反省,話す内容について直前まで万全の思いでその時に合わせて修正したかという自省,講演や講義中に反応に合わせて変更したか....などなどです.そして,伏し目がちの人たちが目を輝かせるまで自分の言葉で語りかけたかと,講義や講演後に反省します.そして自己嫌悪になります.
学問ではそれをパラダイムと呼びます.パラダイムは,多くの他の考えを自らのものとし,そのなかで出来上がる多くの理論や発見を包含する学理の場です.パラダイムを完成する過程で,大学のカリキュラムが生まれ,学科ができ,そして学会や論文誌が生まれます.それを学ぶために皆さんは大学に来たのです.だからまず,一つの学理を登り切る体力と方向感覚,そして登ったら確実に降りてくる冷静さを,自然にこなせるようにしなければならないのです.その練習の場が大学です.時々ある学会の発表や論文の作成は,その実践の場であり,学生への教育もその体現です.

 中身のない話に目を輝かせるはずはありませんが,教員と学生,講演者と聴講者の出会いはその時,その場でしかないことにもっと真剣にならなければならないと思っています.話す側と聞く側は上下の関係にあるわけではありません.異なる立場に有る者が刺激を与える平等な関係です.それを引き出す努力がどれだけカリキュラムや講義法で尽くされているかが,昨今の大学教育の見直しにつながっています.アクティブラーニングというのは,教授という講義法では無く,課題設定を経て新たな知の創造を狙うという手法とも言えます.ですから,すでにその場に来た段階で教授は終わっているのです.本来,大学の研究室,ゼミに於いて少人数の教育としてORT(On the Research Training)の手法としてとっりいれられいる様々な手法を,教室に展開したものでもあります.MOOC, edX, COUSERAといった,様々なこれまで個別の大学の中でクローズされいた講義およびその手法が,ビデオとなって世界中に発信されています.その講義のありかたは,一度講義内容を理解したものには非常に魅力的で,教員でさえ多くの気づきを得ます.学生であれば,それを見てしまうと,現在自分が所属している大学の講義室,研究室で行われている講義や指導が,色あせたものに見えてしまうことは避けられません.それが現状です.一方で,出席を取って講義時間に学生を縛り付け,単位の実質化と称して作業に徹することを求めています.これはあまりにも矛盾した状況にあります.
あたかも,日本の「○○道」を極めるというイメージと重なるため,高貴で崇高な考えに思えます.このようなイメージで育っているのが今のシニアです.そのことを理解しておいて下さい.人は,自分が学んだようにしか人に伝えることはできません.皆さんの主張で変わることはありません.

 しかし,リアルな講義は不可欠です.双方がその場をどれだけ必要としているかに掛かっているのだと言えます.たとえば学生実験,実習が,講義時間の割に単位が少ないという不平を良く聞きます.それを聞く度に,この学生は社会に出たときに,それを自分に返すことがあるのかと苦笑いをしてしまいます.「掛けている時間に見合う成果をだし,利益を出しているか」と必ず問い掛けられます.無駄なこと,理不尽に思えることは,その人の知識が足りないからに過ぎません.演習は自分の限界を知ることです.そして限界を知ったとき,それに対処する手段を探す時成長します.自分の力だけでできる人は限られた人です.それを期待はしていません.しかし,一度その流れを知った人は自分でできるようになります.リアルな講義は,その時・場所における真剣勝負であらねばならないと思います.
しかしながら,これだけでは今の科学の進展の中で,歩みをすすめることはできません.これが言いたいことです.

 目の色は,講義のおけるセンサです.黒板を見て講義,パワーポイントの画面だけ見て講義,そんなことはあり得ません.ましては,ビデオは一方通行です.相互に目の色を見て,その内容をさらに高めることが講義の場です.そして,コアな部分は別として,毎年同じ講義など決してあり得ないということも言えます.合格ぎりぎりの人にも,先端を目指す人にも同時に成立する講義は,相互の関係に掛かっています.研究配属後の研究においても同様です.目の色,そして言葉,生活のありようを尺度として,今年一年も学生の方々に向き合いながら研究を進めたいと考えています.
*3.研究の変化 [#vf139388]

**2. 講義, されど講義 [#pc86205b]
何年も前に多くの研究者が挑んでも目的を果たせなかった課題で,その時点での研究の報告(論文)があります.そこに新たに手法を導入し積み上げた結果,新しい価値を見出した課題があります.現代的手法,たとえば,GPS で方角の不安を無くし,常に携帯で安全を担保し,そして不安な時はドローンで確認して動くといった方法で,確実な途をつけ,人が繰り返した結果誰にでも見えるようになり,地図にも載って来ます.それが新しい方法につながります.

 昨年の講義で面白いことがありました.担当している全学共通の講義で,講義室の定員の関係で何人かが履修登録できませんでした.ところがそのうち数人が,「単位は要らないから講義を受けてよいでしょうか?」と言ってきて,登録ができた学生と一緒に,講義が終わってから毎回最後まで議論してくれました.私が学生のころの昔話をすれば,単位とは関係なく聴きたい講義を聴くというのは普通のことでした.単位などどうでも良く,成績などどうでもよい指標でした.しかし,今は違います.ゴールが明確であることを示すことが求められ,この効率ばかりで評価にする時代に,無理強いされること無くこのような態度を取る学生の考え方を面白いと思わざるを得ませんでした.PDCAなんていう,いかにも非生産的でくだらない作業とは全く相容れない活動です.
果たして今では,過去とまったく違う,データに基づく手法が生まれています.知識のないものが新しい手法で道に迷わない技術が生み出されているのです.この様な単一学理に基づく研究過程を離れて,異なる概念から全く新しい価値が生み出されることをパラダイム・シフトと呼んでいます.研究分野の創生と同じく価値のある仕事がこれです.新しい価値観に導く学理,より一般化したあるいはシステム化した体系を生み出して次元を上げていくような営みとなります.それが皆さんがめざすべきことです.

 私が受け持つ全学共通の物理の講義は,高校の物理から大学の物理への過程にあって,高校の時に与えらた現象の仮定を外す或いは考える対象としなかった現象を記述して解析し,そしてその一般化のプロセスを学習する内容です.一般的には,この習得を経た後にアドバンストの内容に進めます.そういう内容を単位とは関係なく理解することが重要であることは明らかで,この講義関連の内容で未だに沢山の論文が書かれ,等身大の物理から,ナノ,マクロとスケールを越えて多くのインスピレーションが得られる古典的分野です.
どうやってパラダイムシフトを作り出すか.それこそが日本の研究者が直面している状況です.過去に一つの道を作り出した欧米の後を丁寧に踏破し,その中の可能性から大きく膨らませて領域拡大をオリジナリティな技術で作り出し,その技術も共に示して,売って来ました.そして論文数や市場を人が気がつく前に占領することができたと言えます.その後にできた確実な道は,誰もが歩める道になっていました.そこに職人的な感や修行はもう意味をなさないことは明らかです.

 同じ講義で,「既にアドバンストな科目を学習したからこれは必要ないと思います」と言い切られたこともありました.その学生さんと丁寧にお話しし,単位と関係なく一度聞いてみてはどうですかと進めました.それは,アドバンストな内容が基礎を包含しているという勘違いによります.アドバンストな内容は,学問の体系から一部をさらに発展させているケースが多く,基礎の全領域をカバーするとは限りません.そのため,新たな領域の展開には時間が必要です.一方で基礎領域は,横展開が可能な理論体系にまで仕上がっており,まだまだそこから新しい分野が生まれてきます.そのことから,一足飛びにアドバンストな講義を知るのも背伸びとして良いですが,一度その知識を持って基礎を見直すことが大切であることを理解してほしいと思っています.
もちろん,職人的仕事には求道的な価値があります.しかしそれは万人向けのものではなく,技術を養い育てる環境が有ってのもので,時を急ぐ中で非効率なものとなってしまいます.同じものを,短期で作り上げる技術があればそちらが世の中に変化を生み出すことはもはや明らかです.この価値は時間と広がりなのです.同じことが研究にも生じているのです. 

 講義の内容は完成された手法を教えるものだけであってはなりません.そこから新しい分野への展開の知見を示さなければなりません.それは教える側がすることではなく,習う側が他の知識と融合することによって見いだすことになります.講義とはそのようなひょっとしたらこれは関係があるのではという直感と確認作業の練習の機会なのです.一方で,教える側も新たな理解を講義で問いかける挑戦もしています.3年経ったら講義法,講義内容,ストーリーを見直すことで,自ら新しい研究領域の発見につながります.そのような日々の作業が,研究の広がりと深さを生み出します.教員と学生が相互のそのように研究を深めて行く場が大学であるとすると,リアルな場なしに,先端まで出て行くことは非常に難しいと言えます.
このような変化は,研究をめぐる実世界データの扱いのデジタル化に伴い徐々に進んできました.同じ測定機であればどこでだれが測定しても同じ結果を出す.それこそが科学の再現性の具現化でした.その動きが一挙に高まったのは,技術の汎用化,研究手法の標準化で,蓄積データの量が臨界点を超えたからです.すでに遺伝子工学系では,同一のシーケンサを用いたデータベースに基づき,完全ドライな実験を伴わないインパクトのある論文が出始めています.他の分野はどうでしょうか? 3Dプリンタで応力計算を済ませながら印刷して,衛星打ち上げのロケットの製造までが可能になっています.まさにそういう段階にほとんどの分野が直面しているのです.この動きがこれまでの物理世界を再定義することになるのではないかと考えられます.

**3.研究する? [#wb2a38c2]
この中で先に述べた研究の再確認や訓練は非常に非効率となってしまったことが,容易に想像できます.

 京都大学で研究を経験することは,身近に世界の最先端,最外縁,あるいは前例の無い領域で,既存の理論・手法ではたどり着けない知見があることを知ることになります.その姿を見ることで,自分がそこにたどり着けなくても,たどり着くという研究という行為を知ることになります.このような先端の研究行為に触れた人にしか,研究の必要性,あるいは重要性が分かりません.シンパの人たちを育てることも研究室の重要な役割です.
*3.研究の手法と方向性 [#uf4adcb3]

 卒論の試問,修論の公聴会でそのオリジナリティはなんですかと尋ねる教員が居られます.あまり深い意味が無いのかもしれませんが,学生がそれを自ら答えられるとしたら,それはとんでもなく素晴らしいことだと思います.簡単に,周囲の研究状況,自らの位置づけを問うのとは違います.そこまで検討を尽くして研究を進めていることはほとんどありません.とすると,先生がそういった,人がそう言った,どこかに書いてあったということにしか過ぎないのです.そのことを見直してみましょうという示唆と言えます.
電気電子工学科の学生は,現代の電気電子工学のパラダイムを形成する理論を学習し,実験で確かめ,そして研究室ではシミュレーションで確認する.というプロセスを取ってきました.それを繰り返すことの可否を再度問わねばなりません.理論と実験,実験とシミュレーション,そして理論とシミュレーションのいずれかが一致しなければ論文にならないとこれまで学生の指導では基本的に述べてきました.しかし第4の手法として,すべてのパラメータに対して絨毯爆撃的に検討をすることが残されていました.これから起こり得ることは,この最後の手法がまず最初に行う検討になるのです.それだけの計算資源やデータが蓄積されはじめているからです.その上で,新たな軸への価値を探索するシンセシスを考えていいくことが求められるのです.これは誰が計算しても同じ結果が得られ,同じ実験データが得られるという段階に来ているからです.

 研究は研究へのアプローチ方法を学ぶことからはじめます.先人たちがまとめてくれた図書,論文から学びその思考を自らなぞることで形式を学びます.その中で,矛盾,限界,展開について学びます.そして,少し冒険してみる.こういうことは別に研究室で無くてもできます.しかし,集中して短期間に訓練することで身に付くものです.その際に,研究室のものの考え方,アプローチの仕方が大きく影響します.明らかにその指導者そのものの考え方が入り込んできます.
データ科学という手法を単純に礼賛しているわけではありません.最終的必要なことは,サイバーとフィジカルのインターフェースです.それをシームレスにつなぐことはある精度以上では無理です.そのことが今の技術の限界でもあります.それでも,これまで全く関係付けられなかった分野が繋がり,相互の矛盾が多くの課題にもなります.これが,今求められ,統合化した新しい学理への一歩になる可能性が高いと言えます.

 「研究する」とは何かを考えて見ましょう.大学には,既存の技術や現状を分析する解析に根ざす学問体系(アナリシス)と,ボトムアップに既存の技術を基に新しい価値観や技術を展開する,あるいは横にシフトする合成・統合(シンセシス)の体系があります.世界の技術の歴史はこの繰り返しです.なぜアナリシスが必要かを考えると,これまでは個人の中でシンセシスされ,職人技として完成された技術が現代科学の基礎となっているからです.その突出した技術を蓄積し,敷衍することが,職人間の相伝,それを集積した大学にだけ許された権限でした.研究の情報となる文献を手元に持っている者に解析が可能になり,他と違う主張が可能になりました.これは,何も研究者が偉いわけではなく,持てる資産に頼った独占的な行為だったのです.現在,研究に関する情報は品質は別としてネット上で容易に集まります.以前では一週間以上掛けて集めた情報が,秒で集まります.その意味で,優先的に使える情報を有し,優先的な利用を可能にする大学という組織は意味を失いました.講義もそうです.
これまで電気電子工学の学生は,まさにそのことだけを学んできたと言えます.今一度,自分が学習したことを再発見してみられることをおすすめします.決してサイバーだけ,フィジカルだけでここまで来たわけではないのです.他の学科のカリキュラムを見ればよくわかります.分野を横断して電気電子工学科が展開する,エネルギー,通信,生体系,デバイス,光,そして宇宙全てにおいて当てはまっているでしょう.そして,将来的には誰もが何も意識せずに,サイバーからフィジカルを,フィジカルからサイバーを使えるようにしていくことが,大きな目標となります.単に一方だけが必要などいう狭量な考えに陥らないことが重要です.

 世の中が求める研究の質の変化に日本の大学は明らかについて行っていません.少数の研究者が自分の有り様を肯定する,知見を解析した論理の妥当性を開示するという研究,そしてその講義は,追いつけ追い越せという時代の名残です.物事の本質は何かを追求するまでには至っていない生なものが示されていました.それを再び,学習する学生が解析するということの繰り返しででした.このタイプの研究にもとづく追いつくための教育が必要とされた時代の教育者・研究者育成の手法でした.ですから,大学で習ったことはなんの役にも立たないという先輩の企業研究者・技術者が多かったのは当然のことです.
*4.おわりに [#i3cc3d5a]

 一方で,何もないところで何かを生み出すということは,どういうことかを大学で教えては全く教えていません.科学史を学ぶことはワクワクします.電気電子工学科で言えば,電気磁気学の講義と実験がその歴史的発展の流れを講義の中で再体験するする機会を与えています.その上で低次元の対象としての回路理論があり,物性物理があります.もっと,その必然性を学び治すことが必要だと思います.否定されたエーテルの存在が再び議論されることは,結果から見えるものではありません.重要なことは,仮定し,条件付けして抽象化して中で,当面は考えないことにした事実です.そこから始まる世界が,過去の蓄積から始まる,最初の一歩です.
ここに一つのモデル式,あるいは物理現象,デバイスがあります.そこからあなたの研究生活が始まります.自分が卓越していることを主張するために人がやっていないことを探すのではなく,この式あるいは現象,デバイスに対して,どんな価値を作り出そうかということをまず思い描いて見て下さい.その価値が今までにないことであれば進めれば良い.同じ価値ならその価値を見出している手法を精査し,そこに至る手法にこの式あるいは現象,デバイスからたどりつけるかどうかを考えてみて下さい.

 その様な練習のあと,統合することによる一歩があります.博士課程の学生にはいつも必ず3つの異なる仕事をするようにと指導します.理論,計算,実験でも良いですが,それは手法に過ぎません.半導体,回路,システムならば対象の物理の違いとなり,知見を広げます.電気機器,制御,メゾ領域の電磁気学でもかまいません.それは自分の興味や能力に依存します.そのことに意味は,それぞれの課題で行き詰まったときに明らかになります.その時が来たら,これを読まれた人は思い出して下さい.自らにそのノルマを課せる人であれは,研究者として生きていけると思います.逆に避けた人は,別の道を選ぶことを薦めます.そのような人に指導された学生がそれ以上のことができないからです.大学の研究者は後進を育てる人です.だからこそ完成した存在を目指さなければならないと思います.これについては繰り返しになるので,過去に書いた文章を読んで下さい.
私個人は一つの微分方程式の理解から研究を始めました.その後携わった研究は,実験も,設計したデバイス,システム,ネットワークもすべてそこに由来します.これは一つのモデル式が,非常に広い世界を包含していたからだと思います.その式が非線形偏微分方程式でした.物理,力学,情報がつなぎ生み出す豊かな世界は,計算機が加わっても,生物が加わっても,エネルギーや化学反応に広げても,確率が加わっても,学理として理解し展開が可能でした.それらを包含するパラダイムは閉じてはおらず,非常に豊かで耕しきない開いた領域を持っていました.そこに新たなサイバーな世界が加わり,より広大になりつつあります.

**4. 思うこと [#ia5dc79b]
皆さんが足元から遠くに目を向け,楽観的に挑まれることを期待します.

 世界も,日本も,大学もグローバルなリーダーを作り出すと言っています.「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」と慶応義塾大学塾長であった小泉信三の言葉があります.現状を批判して改革を唱えるのは,単純な改革型の大衆迎合です.それを政治家が言うことは世論対応としてはあり得ますが,大学人が自ら唱えることは自己矛盾です.それを唱えたら最後,大学は自らツケをを払うことになります.既得権益の受益者を敵とするという大衆迎合を打つと喝采をあびるという単純な構造は,有るときは公務員改革,有るときは企業経営,有るときは市場開放などに向かいます.そして手が無くなると教育改革を打ち出すのは,世界中で見られる現象の繰り返しです.そして,それを意図してコピーしている我が国の為政の問題は,肝心の問題から目を逸らせる方策に過ぎません.ほとんどの人が分かっていても声高に言えない世の中の状況こそが危ないことです.システムが大きく変わるとき新たな利権が生まれます.要するにそれを欲する行為に他なりません.
ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.
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 我々は所謂ロスタイムに生きているだけなのではないでしょうか.だからこそ,チャンスもあればあきらめもあります.多くの雑音は,当事者でないものの声援と罵声に過ぎません.ロスタイムは結果から繰ると忘れられるものです.だからこそドラマがあるという気がもます.一方で,ロスタイムまで持ち込んで来たこれまでの蓄積無しにはこの一瞬一瞬があり得るはずも無ありません.

 既に誰かが始めたゲームで,人が決めたルールの下で上位に登ることは演習です.その中でトップに出ることは組織として分析し,資源を集中し最適化することで可能になります.必要なことは,突き抜けた上で新しいゲームを始めることです.これまでのものを理解せずに否定し,また既成概念を否定し,チームと組織ごとガラガラポンと解体することを一見革新の様にいう人がは、既得権への挑戦という美酒に酔います.しかし限られた組織を素人組織に戻すに過ぎません.歴史を見ても何度もあら合われる稚拙な改革です.
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 大学の教育の姿が大きく変わりつつあり,一人で理解するまで自学自習として勉強するのでは無く,多くの人で共同学習し,そのアクティブな経験から,人の知見を駆使して,新たな概念の可能性をテレビゲームのように試し,負けたら次をトライするといったあり方が今もてはやされる教育システムです.講義中に行うゲーム感覚の投票システムや,そのリアルタイムの表示がなされます.もう十分です.衆愚のクラウド型勉強が「すぐに役に立つ」という学習としてもてはやされます.なんだか,日露戦争の二百三高地の戦略(司馬遼太郎の小説から)を見るような気がします.どこに目標があるか分からないまま.....

**5.おわりに [#w2bcda9c]

 学問は知識の優劣を競う種目ではありません.論理を尽くすことであって,強弁による勝ち負けでもありません.相互に未完成な複数の論理を同時に当てはめ,それらの上に新しい論理が組み立てられるか,あるいは包含するかといったことを,真摯に考え続ける無償の行為です.その訓練ができ,姿を見ることで実践に臨める教員を見つけ出し,自らをボーダーの外に押し出してくれる指導者を選ぶことが研究室選びだと思います.この機会を大切にして下さい.

**6. 追記 [#yb08de90]

昨年のお正月に聞いたわかり易い言葉をアレンジして記しておきます.

1.やらないリスクより,やったリスクを取ったほうが後悔しない

2.なんでもやってみること

3.失敗したらやり直したら良い,だから楽しくやること

4.でも,安易な低いところに流れずに,難しい方向に挑みなさい

5.その姿に誰もがサポートしたいと思う


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** 過去の記載内容 [#p46576f3]
-2019年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2019]]
-2018年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2018]]
-2017年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2017]]
-2016年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2016]]
-2015年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2015]]
-2014年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2014]]
-2013年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2013]]
-2012年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2012]]
-東日本大地震後の関連メッセージは[[こちら :http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?message2011-2]]
-2011年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2011]]
-2010年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2010]]
-2009年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2009]]
-2008年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2008]]
-2007年第3版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-3]]
-2007年第2版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-2]]
-2007年当初版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007]]
-2006年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2006]]
-2005年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2005]]
-2004年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2004]]


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