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*メッセージ                        from PI (引原隆士) [#sc378ae9]

 毎年年末年始にこのページを書き換えて,早くも10年目になります.本ページは,主として京都大学の3回生で研究室配属を検討する人を中心にメッセージを送って来ています.学外の方は,研究室の指導者のものの考え方を見る参考程度にご利用下さい.ご意見のメールは[[こちら:hikihara.takashi.2n@kyoto-u.ac.jp]]へ.
***総計(Total) (Since 2010: Start (2020.1.1) from 22262):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]

他のサイトへの無断掲載はご遠慮下さい.
*1. はじめに [#z4cdfcb9]

***総計(Total) (since 2010.12.30):&counter(total); ,今日(Today) :&counter(today);. [#ge459848]
研究室を主催して以来,年初に私が考えていることをHPに記載して,これから研究室に所属される方,現在所属される方にメッセージを発して来ました.しかし,今年を最後にすることにしました.研究室の運営は,新しい人の参加,現在所属する方の送り出しという,一年を一周期とする形を取っています.これ自体が新しい研究テーマの開始から完成という流れに従ったものでした.しかしながら.研究室の学生の方の大勢が博士課程の指導を中心にシフトし,学部生の方へのアプローチが研究室の主な動きではなくなり、実態から離れてしまいました.学生の方々のSNSでの発信に触れるにつけ,その脊髄反射の様な応答,リアルの精神的な変化に触れて,記載が何も伝えていないことを,最近確認したこともその理由です.

* 2015年1月1日版 (暫定) [#fdd5c749]
次の20年を託すこれから研究を始められる皆さんに,今私が考えていることを記して終わりたいと思います.

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*2.研究者のイメージ [#tdcafcc6]

 過去10年近く新年にメッセージを書き続けてきた.最初の2年分のメッセージはもう読めなくなっているが,毎年研究室の新たな参加者,特に新たな参加を希望するものの悩んでいる人に,知ってもらいたいこととして記載してきた.その中で世の中の状況への警鐘をならしたこともある.それが数年後に露わになったケースもあり,些か書く内容に躊躇することもある.しかしながら,この研究室を運営する主催者がどのような考えを持って,研究室の構成員,学生,あるいは社会に対して主張しているかを知ってもうらうことは,最も重要だと認識している.読まれる方もそのように認識して読んでいただきたい.
殆どの研究の初期において,過去の研究成果を丁寧に勉強することは,その研究の端緒から成果までを再発見する過程,あるいは再定義する過程として非常に重要です.指導者として見せ方は違っても同じテーマを何度も何度も再検討して来ました.それは,あたかも山のガイドの方が何度も何度も同じ途を繰り返し登り,間違いないかを確認しながらまた降りていくことの繰り返しのようなものでした.一方で,新しい道の可能性は,日常の繰り返しの中ではなかなか見いだせません.

**1.研究テーマはどうやって決まるのか? [#nac58071]
自分にまだ登る能力が足りないと思えば,再び繰り返す愚直な真面目さと素直さが必要なとなります.能力は人により異なります.理論,実験技術.,計算技術といった研究の装備も,人により異なります.研究はそれを自ら掴み取ることが目的なのですが,十分な能力ができても,肝心のモチベーションを失い登ることに魅力を感じない状況に陥ってしまうこともあります.まずは,頭が,手が,身体が自然に動くまで,繰り返すことが大切なことです.

 世の中には研究テーマの流行り廃りがある.また流行を追いかけることが正しいという世の中の風潮もある.流行りのテーマとは,時代的に重要なテーマ,論文誌や学会で多くの発表がなされているテーマ,研究費が潤沢に供給されている分野,新聞・テレビ・ネットというマスコミがしきりに持ち上げる分野,というものであろう.正直言って,私自身が流行りのテーマを選んだ経験はなく,どちらかというと人が敬遠して来たもので,流行りとはとても言えないテーマばかりに手を染めてきたと言える.であるから,流行のテーマに今から参加するぞと言って挑んだことが一度もないため,そのように集まる気持ちが本当の意味では分かっていない.
学問ではそれをパラダイムと呼びます.パラダイムは,多くの他の考えを自らのものとし,そのなかで出来上がる多くの理論や発見を包含する学理の場です.パラダイムを完成する過程で,大学のカリキュラムが生まれ,学科ができ,そして学会や論文誌が生まれます.それを学ぶために皆さんは大学に来たのです.だからまず,一つの学理を登り切る体力と方向感覚,そして登ったら確実に降りてくる冷静さを,自然にこなせるようにしなければならないのです.その練習の場が大学です.時々ある学会の発表や論文の作成は,その実践の場であり,学生への教育もその体現です.

 どの研究者も,自らが経験してきた研究の指導,指導者,あるいは環境の影響を強く受けている.分野に関係なく大学の研究室の指導者にまでなった者は特にその傾向が強い.つまり意識して自らを変えなければ,その体験の範囲でしか指導ができない傾向が強い.そのことを多くの学生の方に理解させることは,私の研究導入教育の第一歩である,従って,私が受けた指導の一旦を知らしめることは一つのパターンを示すことでもある.
あたかも,日本の「○○道」を極めるというイメージと重なるため,高貴で崇高な考えに思えます.このようなイメージで育っているのが今のシニアです.そのことを理解しておいて下さい.人は,自分が学んだようにしか人に伝えることはできません.皆さんの主張で変わることはありません.

 私自身が自分の研究テーマの決め方あるいは進め方を見直し,本当の意味で分析的に指導を受けたのは米国に滞在した時である.在外研究に行く前に京大を修了後別の大学の教員であった私は,研究費や共同研究者に恵まれていたとはとても言えない.しかし考える時間はあり,それまでの自分の学習,環境,研究経験から自分にとって最適な受け入れ先を選ぶ際,本当に今後どういう分野の基礎的な勉強が自分に取り組めるものだろうかと言う点に限られていたと思う.決して,テーマを先に決めたわけではない.自分には似つかわしくないが,当時関与していた学会でのパワーバランスで政治的に決めた第一希望の行き先からは断られ,ある意味好都合でもあった.(当時は電子メールはなく,エアメールの手紙で受け入れをお願いし,その行き来に早くて2週間掛かった時代であることを考慮してほしい.その間の心の葛藤は半端ではないが,逆に人の思考に合致した時間スケールだったと思う.)結果的にその選択が,研究テーマの見出し方,決め方について初めて身につける機会を与え,研究者としての行き方を授かるに至った.
しかしながら,これだけでは今の科学の進展の中で,歩みをすすめることはできません.これが言いたいことです.

 昨年,在外研究先であった米国 Cornell Univ.のスーパーバイザー,Prof. Francis C. Moon の75歳のお祝いのスペシャルセッションがミシガン州ランシングのMSUであり,そこにお呼び頂いた.私が彼の研究室に所属したのは1993-94年で,米国はまだ不況にあった.クリントンが大統領で,ヒラリーが保険プログラムの提案でCornellで演説したことも記憶にある.(先日,UCLAに行った時もそのタイミングに出くわしたのは因縁かもしれない.)日本もバブル景気が崩壊した直後であった.日本からの滞在者の多くは,バブル期に日本を出て,その気分の抜けない人が多数居た.さて,同時期に同研究室の所属した仲間,あるいはその実験装置や研究室のログでのみ名前を見た研究者,そしてその後訪問した時に所属していた研究者,だれもが恰もすでにお互いを知っているような感覚になっていたのは面白いことであった.それは,同じものの考え方を共有できる研究者であるからと言える.あのときこうだったとか,あるいは何年後はこんなだったという言葉は,思い出話ではなく確認作業あった.私がProf. Moon の研究室,すなわちCornell Univ., Sibley School of Engineering,  Mechanical  and Aerospace Engrg.(MAE) と Theoretical and Applied Mechanics (TAM) に客員として所属したことが,私のこの後の研究人生のすべてを決めたと言って過言ではない.
*3.研究の変化 [#vf139388]

 まず,学んだことは誰も研究を手取り足とりして教えてはくれないということである.特に客員,ポスドクは一人前の研究者として来る.だからこそ,自らの手法でデータを出して初めて議論が始まる.武器は自分の経験,知恵,そしてその場にある測定器具,あるいは使える計算器のみである.実験系のポスドクは1週間経っても机に座って論文を読んでいるようでは1ヶ月後には首と言われる.まさにその通りで,他に居るポスドクやドクターとは装置の取り合いとなる.実験装置が使われていない状況で空いていたら,それは他の人に使用される.また,技官も雇用関係から,ボスが指示しなければ決して助けの手を出さない.こういうビジネスライクな世界で本当に結果を出すことの大変さは経験しなければ分からない.先輩風を吹かして,そこにあるものは何でも使えると勘違いしている日本の研究室の博士課程の学生では,結局手も足も出ない.またテーマなど,どこにも転がっていない.しかし悪いことばかりではない.自ら最初の目標を設定し,最初の1週間を実験装置の使い方の確認と初期データの取得,2週間目にデータの再現性の確認,その間にボスとの議論をこなして,これまでに研究室で得られたことのないデータを取得し始めると,途端に環境が一変する.まず,実験装置の占有をみんなが認め始め,使うときは使い方を習いに来る.そして,1ヶ月後にはボスがこの論文の結果は本当かを確認してくれと相談に来る.最後は,ボスの講義のTAとしてのサポートや,アウトリーチへのサポートの指示が来る.突然やってきた海とも山とも分からないアジアの研究者に,だれが最初から重要なテーマを与え,そのためにテーマが何ヶ月も,何年も塩漬けになることを望むだろうか? 明らかに,テーマは自らポテンシャルを示した時に初めて他の研究者との共振関係で生まれてくるものなのである.私の滞在の後には,電磁気学が専門であったこのボスと関連分野で論文を書き,さらにそれを非線形力学との絡みで実験を進めたものは誰も居なかった.彼のその年に書き下ろされた著書の中で,その時の最新のデータを使ってもらえたことは私の研究者としてのあり方を決めた.そのことを,先に述べたお祝いの会での私の講演の後,彼がわざわざマイクを取ってコメントをくれた程である.
何年も前に多くの研究者が挑んでも目的を果たせなかった課題で,その時点での研究の報告(論文)があります.そこに新たに手法を導入し積み上げた結果,新しい価値を見出した課題があります.現代的手法,たとえば,GPS で方角の不安を無くし,常に携帯で安全を担保し,そして不安な時はドローンで確認して動くといった方法で,確実な途をつけ,人が繰り返した結果誰にでも見えるようになり,地図にも載って来ます.それが新しい方法につながります.

 研究のテーマは,あらかじめ予定されているものではない.たとえ準備されていても,それを受け入れる学生,研究者が自ら資質を示さなければ,テーマとしては成立しない.自らのテーマを自らの考えで進めたいのであれば,研究室の主催者として手助けするが,その時に研究室の環境や研究者から学ぶものがなければ,一緒にいる必要なない.その意味では新たな道を早く選ぶことを進めたい.人は,他から学ぶことをやめた時成長を止めてしまうからである.このように,テーマはそのアイデアを持つ者と,知識を持つ者,そして相互がプラスに触発する環境が相互に関係して初めてテーマとして世の中ない現れると考えている.収奪の構造などそこに有るはずもない.
(本人がポテンシャルを示さなければ,テーマは単なる念仏にすぎない.それを持って就職の面接に行ったところで何の役にも立たず,逆に選んだ研究が間違いだったとまで言い出すことは少なくない.)
果たして今では,過去とまったく違う,データに基づく手法が生まれています.知識のないものが新しい手法で道に迷わない技術が生み出されているのです.この様な単一学理に基づく研究過程を離れて,異なる概念から全く新しい価値が生み出されることをパラダイム・シフトと呼んでいます.研究分野の創生と同じく価値のある仕事がこれです.新しい価値観に導く学理,より一般化したあるいはシステム化した体系を生み出して次元を上げていくような営みとなります.それが皆さんがめざすべきことです.

**2.学生の方に知っておいて欲しい基本的なことのいくつか [#d6c7538b]
どうやってパラダイムシフトを作り出すか.それこそが日本の研究者が直面している状況です.過去に一つの道を作り出した欧米の後を丁寧に踏破し,その中の可能性から大きく膨らませて領域拡大をオリジナリティな技術で作り出し,その技術も共に示して,売って来ました.そして論文数や市場を人が気がつく前に占領することができたと言えます.その後にできた確実な道は,誰もが歩める道になっていました.そこに職人的な感や修行はもう意味をなさないことは明らかです.

 やってはいけないこと:学生は研究室に所属することで多くのテーマに触れる.しかし,それらを誰もが研究対象とできるわけではなく,またして良いわけではない.オープンサイエンスが仲間内で実現されているため,学習する機会は全員にある.しかし,能力のあるものしか研究とすることはできないという当たり前のことを知らねばならない.自分がやったこともない結果を自分のものと公言し,本当の発見者を駆逐したり,論文の成果を奪ったりする剽窃と呼ばれる行為は,何も最近だけのことではない.この不正は,研究を志す者が絶対に踏んではいけない轍であり,それを踏んだ時点で研究者生命は終わり,同じ場と時間に研究者として存在できないことを最初に知っておいてほしい.
もちろん,職人的仕事には求道的な価値があります.しかしそれは万人向けのものではなく,技術を養い育てる環境が有ってのもので,時を急ぐ中で非効率なものとなってしまいます.同じものを,短期で作り上げる技術があればそちらが世の中に変化を生み出すことはもはや明らかです.この価値は時間と広がりなのです.同じことが研究にも生じているのです. 

 研究の必然性:研究を育てるには,研究者によるコミュニティが存在し,研究が高いレベルになるまで育つことを周りが見守る環境が不可欠である.荒削りのアイデア/データが論文になるまでは暗黙の約束がある.それは,だれもがそのサイエンスの萌芽には手を出してはいけないということである.その萌芽をサポートできるのは,本当に萌芽を自ら関与した人だけである.人が提示した課題ばかりを追いかけている人は,すぐにそのテーマに口や手を出す.それが許されないのが研究室であり,コミュニティである.そのコミュニティは同じ価値観を共有することができる研究者の集団であるからこそ,人の成長も同時に共有する.そこに一人でも価値観を異とし,そのプライオリティを無視して先に結論を出そうというと人が混ざりこむと混乱を生じる.その人が,思考過程から同じ結果に至る必然性がないにもかかわらず突然現れるのである.すなわち,研究には必ずその必然性がある.必然性の無いひらめきなどは無い! 
このような変化は,研究をめぐる実世界データの扱いのデジタル化に伴い徐々に進んできました.同じ測定機であればどこでだれが測定しても同じ結果を出す.それこそが科学の再現性の具現化でした.その動きが一挙に高まったのは,技術の汎用化,研究手法の標準化で,蓄積データの量が臨界点を超えたからです.すでに遺伝子工学系では,同一のシーケンサを用いたデータベースに基づき,完全ドライな実験を伴わないインパクトのある論文が出始めています.他の分野はどうでしょうか? 3Dプリンタで応力計算を済ませながら印刷して,衛星打ち上げのロケットの製造までが可能になっています.まさにそういう段階にほとんどの分野が直面しているのです.この動きがこれまでの物理世界を再定義することになるのではないかと考えられます.

この中で先に述べた研究の再確認や訓練は非常に非効率となってしまったことが,容易に想像できます.

*3.研究の手法と方向性 [#uf4adcb3]

 世の中に住む常識という悪魔:口では多くの研究者が常識破れを求める.(常識破れの行動を取るということではない.)しかし,学会で多くの権威と言われている人が,常識的に…という自らが宇宙の法則の権化であるかのような攻撃がある.研究者として確立した者であれば,「あ,またか」と聞き流せるが,初学者には非常に対応が難しいものである.「効率」「有用性」も工学を主張する場合同様の攻撃となる.口癖のように宣う方々もおられる.工学は非常識のアイデアの蓄積であることを忘れてはいけない.つなり,自然に従うことが常識ならば,人工の技術は非常識となる.現代では,人工の環境も自然に含まれている.従って,当然常識の限界はさらに遠くまで進んでいる.そういう常識の言葉を攻撃の手法に用いた議論の流儀を研究室に持ち込まないで欲しい.質問の仕方を学ぶ事は,研究を共同で進めるためには不可欠である.
電気電子工学科の学生は,現代の電気電子工学のパラダイムを形成する理論を学習し,実験で確かめ,そして研究室ではシミュレーションで確認する.というプロセスを取ってきました.それを繰り返すことの可否を再度問わねばなりません.理論と実験,実験とシミュレーション,そして理論とシミュレーションのいずれかが一致しなければ論文にならないとこれまで学生の指導では基本的に述べてきました.しかし第4の手法として,すべてのパラメータに対して絨毯爆撃的に検討をすることが残されていました.これから起こり得ることは,この最後の手法がまず最初に行う検討になるのです.それだけの計算資源やデータが蓄積されはじめているからです.その上で,新たな軸への価値を探索するシンセシスを考えていいくことが求められるのです.これは誰が計算しても同じ結果が得られ,同じ実験データが得られるという段階に来ているからです.

 モデルありきの研究の否定:これはモデルの必然性を問うことである.先輩の研究,あるいは他の研究者の研究成果から導かれたモデル,それを検証もなく使うことはすべきではない.工学の世界でもモデルを表すのは式,あるいはアルゴリズムとなる.まず,それらが必要となる研究を導いた研究に敬意を示すべきである.その上でそのモデルを使うことの必然性を示すことが,最初に導いた研究者の業績への尊重となる.それもなしに,文献で示された式が何の脈絡もなく成立すると仮定する所から始める研究など止めたほうが良い.
データ科学という手法を単純に礼賛しているわけではありません.最終的必要なことは,サイバーとフィジカルのインターフェースです.それをシームレスにつなぐことはある精度以上では無理です.そのことが今の技術の限界でもあります.それでも,これまで全く関係付けられなかった分野が繋がり,相互の矛盾が多くの課題にもなります.これが,今求められ,統合化した新しい学理への一歩になる可能性が高いと言えます.

 ディスカッション機会の確保:学生の生態として夜型になることが多い.しかし,研究指導者とディスカッションをしたければ,自分の時間軸を人に押し付けることはやめるべきである.大学は通常の時間軸で動いており,研究室も,研究も同様である.研究室に宿泊して研究することは一見真面目な姿に見えるが,夜に研究室にとどまる事は,人間的トラブルや帰宅途中のトラブル,実験のトラブルを招きやすいことは明らかである.研究室は寮ではない.生じ得る危険を少しでも避けるためには,研究室に所属した時点で生活を改めるべきである.その上でディスカッションの時間を指導者に求めてもらいたい.また,研究会での発表担当の直前だけつじつま合わせのような議論を求めることは邪道である.それでは何の意味もない.研究を進めたいのか,研究発表の指導を受けたいのか,よく考えて欲しい.ディスカッションでは自らの思考とデータを示し,それに対する自分の見解をぶつけて議論をする,あるいはモデルの物理的意味を議論する,あるいは定理/証明の妥当性を議論するなどいろいろある.
そのために結果をいきなりぶつけるというのは議論の道筋としては正しくない.考えてみてほしい.研究室には20近くのテーマが同時に進行し,指導者も自らのテーマを走らし,講義,業務,社会貢献などの作業に時間を取られている.議論を深めなければ時間の無駄になる.それをお互いに理解して進めなければならないのではないだろうか?
これまで電気電子工学の学生は,まさにそのことだけを学んできたと言えます.今一度,自分が学習したことを再発見してみられることをおすすめします.決してサイバーだけ,フィジカルだけでここまで来たわけではないのです.他の学科のカリキュラムを見ればよくわかります.分野を横断して電気電子工学科が展開する,エネルギー,通信,生体系,デバイス,光,そして宇宙全てにおいて当てはまっているでしょう.そして,将来的には誰もが何も意識せずに,サイバーからフィジカルを,フィジカルからサイバーを使えるようにしていくことが,大きな目標となります.単に一方だけが必要などいう狭量な考えに陥らないことが重要です.

 上手くいかなかったデータの重要性:これも言い古されたことである.研究では表に出ないデータが最も重要である.しかし分かっていない人は非常に多い.昨今実験ノートを取ることがマスコミなどで面白可笑しく書かれるが,今に始まった事ではない.しかし,頭の中にしかないデータ,思考,書き出せない理論も意味がない.科学は記述されたものだけで再現され,検証されねばならないからだ.真贋を自らがあらゆる角度で検証したかを自分で示せることは,実験科学だけでなく理論においても不可欠な作業である.その記録がないことなどありえない.理論にもその限界がある.自ら暗黙においている仮定を自分で書き出し,その仮定を一つ一つ確認していく作業は,理論を扱うものが一般化を述べるなら日常的な作業と考えるべきである.
*4.おわりに [#i3cc3d5a]

**3.生の人の連鎖をつなぐことは研究者の仕事 [#af513491]
ここに一つのモデル式,あるいは物理現象,デバイスがあります.そこからあなたの研究生活が始まります.自分が卓越していることを主張するために人がやっていないことを探すのではなく,この式あるいは現象,デバイスに対して,どんな価値を作り出そうかということをまず思い描いて見て下さい.その価値が今までにないことであれば進めれば良い.同じ価値ならその価値を見出している手法を精査し,そこに至る手法にこの式あるいは現象,デバイスからたどりつけるかどうかを考えてみて下さい.

 FB で人がつながり,友達の友達がすでに自分の別の友達の友達となっていることは多い.それは世界が狭いからにすぎない.その範囲でしか自分が活動していないからである.研究者の間にも [[ResearchGate:http://www.researchgate.net]] とか [[LinkedIn:https://www.linkedin.com]] といったソーシャルネットワークがある.その上で論文をやりとりすることは容易になっている.その多くはオープン化による持つものから持たない者への一方的な論文の供給であって,本当の意味で研究の相互のやりとりには使われているとは言い難い.
私個人は一つの微分方程式の理解から研究を始めました.その後携わった研究は,実験も,設計したデバイス,システム,ネットワークもすべてそこに由来します.これは一つのモデル式が,非常に広い世界を包含していたからだと思います.その式が非線形偏微分方程式でした.物理,力学,情報がつなぎ生み出す豊かな世界は,計算機が加わっても,生物が加わっても,エネルギーや化学反応に広げても,確率が加わっても,学理として理解し展開が可能でした.それらを包含するパラダイムは閉じてはおらず,非常に豊かで耕しきない開いた領域を持っていました.そこに新たなサイバーな世界が加わり,より広大になりつつあります.

 在外研究の時,私がいた部屋は Prof. Philip Holmesの部屋の真ん前であった.知る人は少ないかもしれないが,Cornell Univ. に行った理由の一つに,彼が在籍していたことがある.いつも在室中はオープンにドアを開けている彼は,目があうと挨拶していた.しかし,本当に研究の議論をする機会はずいぶん後になる.私の実験データの現象の説明がこれまで用いられていたモデルでは無理ということが明らかになったことが切欠となった.Prof. Moon  との立ち話の後に,Phil に意見を聞こうと彼が言い,フットワーク良くお向かいに呼びに行くことになった.幸いにも彼は在室しており,直ぐやってきて,いきなり話を聞いて,一言,そのモデルでは無理だね と.それからは,彼のサジェッションを受けて カリフォルニア地震のモデルでも使われたモデル記述を導入し,物理常数を確認しながら適用した.この過程の詳細は述べないが,非常に楽しい時間であった.その Prof. Holmes はその後Princetonに異動した.後年 Princeton へも訪問し,何度もいろいろな場面で協力を仰いで来た.研究室に所属する若い研究者が在外研究先を選ぶ切欠も元を正せばここに遡る. (その後,Phil はその著作で私が学生の時に計算した結果に基づいて著書の図を描いたことを知ることになる.それは,博士課程の指導者の指示によって行ったものである.その根本のプログラムは当時の先輩が基本部分を作成されていた.)
皆さんが足元から遠くに目を向け,楽観的に挑まれることを期待します.

 Cornell の TAM は昨年廃止となった.そこに集まった,あるいはいた人は拠り所を失ったが,その関係は今でも繋がっている.昨年12月にインドで開催された学会に招待された.その招待は同じく Cornellに在籍した Prof. Rudra Pratap による.またそこでは,同じく Cornell から呼ばれた Prof. Parpiaとの出会いもあり,そこから新しい研究へのつながりも始まっている.彼はまた我々の別の研究テーマの共同研究者との友人でもある.このような生きた人間関係がなければネットで繋がっても共同研究は進まない.なぜならば,そこには一目でわかる人の性格や個性の合う合わないの判断が感性というフィルターを通して検証されるからである.また,この学会では Rudra の学生がたくさん質問に現れ,研究の方向性や日本への留学などへの質問を受けた.これは次の交流への始まりでもある.在外を終えて帰国する私に,Prof. Moon は「次は君がCornellで学んだことに基づいて,アジアの国の若い人に研究への道をつけなければならない.」と言われた.それは私の義務でもある.
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 身近な国内の学会の場,在外研究を中心とした人的交流,国際会議のセッション設定の交流,留学生の受け入れ,それらを通じて人のグローバルな交流を作り上げることが研究室を主催するものとして不可欠な資質である.そしてそれは,自らが研究の中継者であることを理解して,個人に留めず,次へ継承していかねばならない.人から人へ,時間と空間を超えて,考え方,共同作業,そしてテーマを情報としてではなく営みとして繋いでいくことが,科学技術の研究のあるべき姿である.

**4.新たなアプローチへのチャレンジを [#ve44e0a7]
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 研究が出来上がったと思う時,それを崩す勇気がない研究者は,研究者をやめたと言える.自らの成果は常に次の世代の踏み台になるものである.どんな成果も次の成果への通過点にすぎないからこそ,新たな取り組みが必要になる.場合によっては自分の結果を否定することも大切なアプローチである.そのためには,複数路線で研究を進めることをより教育過程で指導すべきである.博士課程に進学する学生には常にそのように求めてきたが,残念ながら現在の目の前のアプローチを進めることが精一杯という姿を見続けて来た.自ら複数の研究のアプローチを構築できないため,他の未完成なテーマに軽い気持ちで手を出し,手を出しただけで食い散らして去っていく.残るのはストーリーも深みもない結果だけである.自分の能力のなさが研究の場を乱すという事実を冷静に見つめなければならない.

 パラダイムシフトを求める産業界があるが,パラダイムのシフトの意味が全くわかっていないのではないかと思うことがある.同じ分野で足掻けば何か降ってわいたようにパラダイムシフトが生まれるような議論があるが,そんなことは無い.果たして現在の多くの企業軍は,パラダイムシフトを自社内で本当に求めているのだろうか? 効率を求めた時,パラダイムシフトほど効率の悪い技術革新は無い.それは総合企業が衰退した部門を補う新しい分野の創造を求める活動では,ほとんど受け入れられない.企業の毀誉褒貶は自社内のパラダイムシフトではなく,新しく立ち上がった企業が既存の企業とのシビアな競争関係でか生まれていないのではないか.研究も同様であるということが言える.ある企業の講演で,こんなことを聞かれたことがある,「今日講義で新しい技術を聞いたが,そんなことを会社でして良いのでしょうか?」.企業人が公務員化した時に至るゴールは見える.

 理系では論文誌が電子ジャーナル化されて,大きく図書館の環境も,研究のスタイルも変わった.研究の多くの時間が,文献調査や読書,それに基づく思索から,データベースのキーワード検索にシフトしている.そのため,時定数が非常に短くなっている.大手出版社はその大学のデータから,この分野が貴大学には欠けていますよ…と余計な御世話で手を出しつつある.それをグローバル化や世界ランキングという評価指標で脅かしてくる.研究には適した場所がある.評価が高い大学で受けた教育が保証するものは何か,そこまで出版社は保証していない.当然,ランクの高い企業への就職と収入であり,日本がこれまでに経験してきた大学と企業の関係以上に何があるのか? まるで予備校の偏差値の議論を,大学院生,研究者に持ち込んだだけである.偏差値を上げるために高めの学生を受験させたり,あるいは同じ学生にたくさんの大学を受けさしたり,あの手この手で受け入れる側も,出す側も数値を上げる.同じことが生じている.

 自社として研究に投資せず成果だけを利用することで味を占めてしまった企業軍は,コンセプト,デザイン,品質,そしてマーケッティングを管理するだけの組織になりつつある.どの技術が使えるかを一早く見出し,人より先にローカルに取り入れ,一挙にグローバル化し,その先見ダッシュで市場を抑える.その繰り返しになっている.その一方で,電化製品の技術や構造のパラダイムシフトを実現し市場に送り出す企業も出現している.それらのせめぎあいは,そのまま大学の今後の姿かもしれない.あまり想像したくはないが.

 私が学生の頃,京大電気系の非線形分野には,原理主義,現象論,手法論のアプローチがあると言われていた.それらの二つは一つの研究グループから分かれたアプローチであり,他の一つはその外から持ち込まれたものである.少なくとも私が学んだものは現象の物理/数理的理解のアプローチであったが,学生の時そこから離れてデザインを志向した.その結果学位の遠い道を歩んだ経験がある.在外の時代に学んだものは,現象のモデル化と物理原則,そしてその工学的応用への意識であった.そしてその後,物理現象の原理に基づく制御も含めたシステムのシンセシスに向かった.その過程で私はアナリシスの方法論を目的とする手法論には手を出していない.なぜなら,現象の解釈を解析の方法論で示することはできないと考えるからである.今,世の中はアナリシスではなくシンセシスの時代であることを意識しおいて欲しい.私は決して過去の成果を軽視しているのではない.それらを理解した上で,さらに新たな止揚を求めるアプローチは,結局学生の頃にすでに求め始めたものであり,それをいろいろな経験から肉付けしたものである.それが唯一,この場所で研究を続けていけている理由であろうと思う.私に比べて遥かに聡明で,遥かに計算機の能力に長け,遥かに実験の技術を持つ方々を見てきている.今なら言えるが,後進に科学技術を伝えていく中継者として,かつ新たな学問の創生を求められる大学教員の資質としては,そういった能力だけでは不十分なのである.

**5.おわりに [#z53f31f0]

 流れに竿を差すことはいつの時代も無駄なエネルギーを要する.これから研究に加わる学生の方には,研究の本質を維持するためには,まず学ぶべき考え方と態度をきちんと理解してもらいたい.そして,学生である時間を大切に自らの能力を高めるために費やしてもらいたい.その手助けができる場が研究室である.その時に,何らかの手がかりにするのは,研究室の指導者であり,先輩であり,共同研究者であろう.その場が先にどのようにつながっているかをきちんと見極めてもらいたい.

**謝辞: [#h931861e]

現在はお世話になった全ての方々のおかげである.改めて謝意を表したい.特に,昨年他界された平根善久先生(関西大学)は,私が博士課程を単位取得退学したあと,大学という場で研究者への修行を続けるチャンスをくださった方と言える.様々な状況は有ったが,その機会を与えてくださったことで今があることはまぎれもない事実である.その一点において深く御礼申し上げたい.また私の指導者を通じてそのポストへ導いてくださった,故 桑原道義先生 にも改めて感謝の気持ちを表したい.その繋がりがなぜあったかは,今はもう私しか記憶していない事実であろう.

研究は,それぞれの人同士の会合があって初めて芽生え,意味を持ち,世の中に現れ,そして人を通してサポートされるものであることを,改めてかみしめている.


** 過去の記載内容 [#p46576f3]
-2019年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2019]]
-2018年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2018]]
-2017年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2017]]
-2016年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2016]]
-2015年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2015]]
-2014年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2014]]
-2013年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2013]]
-2012年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2012]]
-東日本大地震後の関連メッセージは[[こちら :http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?message2011-2]]
-2011年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2011]]
-2010年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2010]]
-2009年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2009]]
-2008年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2008]]
-2007年第3版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-3]]
-2007年第2版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007-2]]
-2007年当初版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2007]]
-2006年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/hikihara/lab-exp-06-01.html]]
-2005年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/hikihara/lab-exp-05-01.html]]
-2006年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2006]]
-2005年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2005]]
-2004年版は[[こちら:http://www-lab23.kuee.kyoto-u.ac.jp/ja/index.php?Research2004]]


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